鈍な意識のうちに

 頭が痛い。日本語の豊富なオノマトペで言うなら、ずどんという感じだろうか。どこか違う気もするが。少なからずズキズキといった感じではない。自分の脳みそが水銀に置き換わった感じ。頭を傾けると、ぐでっと粘度の高い液体が頭の中でどろどろと移動しているような気分になる。もちろん中身がよく分からない物質になってしまっているのだから考えもまとまらない。今はそれが軽減されたからこうして考えを言語化して手帳に書きつけているわけだが、ほんの数分前まではもっとこの感覚が激しかった。自分が鋭敏でなくなり鈍になったような感じ。

 しかし、それは不思議と嫌なものではない。例えば日本人が海外に行くと○○時間と呼ばれるような現地独特の時間の流れに戸惑うとよく言われる。それにも慣れてしまえば多くの場合ゆったりとした生活が好ましく感じられる。それと同じように愚鈍な脳の働きも悪くはないものだ。ぼやっとして焦点が定まらない。さっきまで何を考えていたかよく思い出せないけれど、まあいいだろう。どうせそんな大したことじゃなかろうし、もう一度考え直せばいい。こんな感じでぐるぐると思考をのんびり巡らすのは案外心地いいものだ。数分浸かって温くなった湯船みたいなものかもしれない。熱々の風呂に入りたいときもあるけれどね。

 ぼやっとした頭で考えられることなどたかが知れている。でもその分、大事なことや自分がよく考えていることだけがすっきりと形として現れる。ぼんやりと思い出される最愛の人の語り口や幼少期に母と見た夕日、父の言葉。いまの自分にとって心地よいものだけが輪郭を失って混ざり合っていく。それも電動ミキサーで有無を言わさず攪拌してごちゃ混ぜにするのではない。びいどろがとろっと溶けて幾種類かの色が混ざっていく感じ。個々の美しさと合わさることで生まれる美しさ。その両方が自分を楽しませてくれる。

 あの人のあの言い方が気に食わなかったとか、時間が無駄になったとか、高い金を払った割にはおいしくなかった。みたいな俗物的な苛立ちなんかは一時的に姿を消す。同時に具体的な楽しかった事象なんかもあまり思い出せない。ただ靄のような満足感、幸福感が自分を包んでいるのだけを感じる。甘い香りがしてきそうな空気の中でぼんやりと過ごす。まどろみに近いものがあるかもしれない。もしかすると極楽浄土の蓮の蕊の匂いさえも香ってきそうだ。ああ、いまこのとき死んでしまうのがいいかもしれない。強い憎しみや嫌悪、嫉妬もなければ、悦楽も何もない。ただ、ぼんやりとしたこの感覚。ああ、いまなら死んでもよい。眠るように。眠るように。

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