讃美歌会

 子どもが生まれたら教会に報告しなければならない。それには色々な意味があるんだけれど最も大きいのは讃美歌冊子配布の必要性だ。国民には一人一冊自分用の讃美歌冊子なるものが国から配布される。実際に配るのは家のある地区の担当教会。こうして戸籍の登録とともに配布される冊子を生涯国民は使い続けることになる。この冊子にはひらがなの歌詞から歌う際の楽譜、伴奏の楽譜などが整理されて分かりやすく掲載されている。

 こうして小さなときから讃美歌に触れさせることで、讃美歌会に抵抗感なく参加できるようにするのである。ある種の英才教育と言えるだろう。讃美歌会とは歌がある程度きちんと歌えるようになると参加することになる会のことで毎週日曜には教会の担当地区の住民は原則参加することになっている。子どもたちは授業の一環として平日も参加する。讃美歌会自体は毎日休みなく午前に一回、午後に一回開催されている。この会には教会もかなり力を入れており、その教会の幹部たちが毎回一人も欠けずに出席するのが恒例である。

 ではなぜ、この会がここまで重要視されているのか。別に集まって歌うだけなら幹部を毎日呼ぶほどの価値ある儀式ではないのではないか。傍から見ればその通りなのだが教会を運営している側からすればそうではない。この讃美歌会は人材発掘の場なのだ。だから幹部が直々にお出ましというわけだ。具体的に言うならば讃美歌を歌うことで「覚醒」する子どもを発見しようとしているのだ。人は誰しも歌を歌うとき少し雰囲気が変わる。歌うとなると話し声ではなくなったり、緊張して声が震えたりというのはよくあることだと思う。この程度なら確かに取るに足らないのだが、もっと豹変する人というのが稀にいる。

 それは本当にオオカミ男が満月を見て獣に変身してしまうように。誰の目から見てもはっきりとしたれっきとした変化である。声には感情が強くこもり、訴えかけるように歌う。その顔は自信に満ち溢れ今までと同一人物とは思えない。歌詞も他の人と同じものを口に出しているはずなのに、どうも一人だけ洗練された美しい文章を読んでいるかのようである。メロディーは黄金のように美しくその声には山々の鳥も黙ってしまう。そしてこういう歌というのは概して聞き手を魅了するものである。そういうカリスマ性のある人物、讃美歌を歌うことで人を惹きつけることのできる人物というのを教会は求めているのである。

 今日もお昼前にパイプオルガンの音が響き渡る。幹部たちは歌いながらきれいに整列したたくさんの子どもたちにじっくりと目をやっている。

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