夕方の憂鬱

 夕方が嫌いだ。早起きが苦手だから朝ももちろん嫌いだけど夕方の嫌いとは違う。夕方は昼が姿を潜めてしまう時間。太陽がいなくなってしまう時間。でも、まだ夜の出番ではない。月も目立とうとはしない。夕方はそんな宙ぶらりんな時間。楽しいときには時間よ過ぎないでくれと思うし、退屈で仕方ないときにはさっさと夜になってくれと思う。夕方とはある意味誰からも歓迎されない時間なのかもしれない。それでいて夕焼けというのはいやに印象的で、脳内にあるどんな考えも吹き飛ばしてしまう。

 でも夕方になると気分が暗くなるのはそれだけが理由ではない。めずらしく話してしまいたい気分になっているから昔話でもしようか。

 あれは幾つのときだったろうか。おそらく叔母さんのワンピースが涼しげな水色だったから夏だったのだろう。セミがうるさかった。でも、あのときほどセミの煩い鳴き声に感謝したときはない。アブラゼミの何も考えてなさそうな声。それは叔母のねちっこい声をかき消すには十分だった。聞こえなくてもぐちゃぐちゃと動く唇だけは目に入ってきたけど。マットな赤色が品なく塗り重ねられているあのさまはルージュ嫌いとして今も刻み込まれている。もちろん目をつむることなんて許されなかった。その可愛い顔を見せてちょうだい。ねえいいでしょ?控えめな疑問形を装った言葉は私の自由を奪っていった。

 お父さんは自分の姉である叔母さんに絶対的な信頼を置いているからとても本当のことを言い出せなかった。事実、共働きだった両親にとって叔母さんは心強い協力者だったに違いない。叔母さんは普段は優しい人だ。でも外で気に食わないことがあると、ティーカップに残ったアールグレイを一気飲みしたあと、私に声をかけて隣で宿題をするように言う。本当は勉強させる気なんてないくせに。このときの叔母さんは普段の優しい叔母さんではない。本人としてはいつもよりもっと優しくしてるつもりなんだろうけど。

 叔母さんは当時のことなんて忘れてしまったかのように大人になった私をお茶に誘ったりする。でも本当に忘れてしまったのかもしれない。私が大人になったのと同じように叔母さんも歳をとったのだから。たしか、アルツハイマーの初期症状に似ているとお父さんが言っていた気がする。だからお父さんの面子もあるしと思ってふたつきに一遍ほど叔母さん御用達の喫茶店に出向くことにしている。お店はいくつかレパートリーがあるけど、どこも紅茶が自慢のお店。指定される待ち合わせの集合時間はいつも同じで日が沈むころ。

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