彼が語るおとぎ話

 彼は不思議な人だ。どうにも彼の話を聞いているとこちらの感覚が消える。たとえば今だったら公園のベンチに斜めに座ってたしかに彼の言葉に耳を傾けているんだけど、冬らしい低い気温やベンチの木の硬さ、風の鳴る音やかじかんだ手の痛みなんかがどこか遠くへ行ってしまう。消え去ってしまう。同時に心もとろかされるみたいで、ここにいるのにここにいないような幽体離脱のような気分になる。

 彼のする話はたいていが彼による作り話だ。たいていと言わず全てなのかもしれないが全てがフィクションであるという確証は得られない。だってどの話の描写も限りなくリアルだから。それでも実は海に棲む魚たちは同じ一つの言語で通じ合っていて、それは泡をモールス信号のようにして扱うことで成立しているとか中世の地中海付近の小国では村で一番美しい娘を土の中に埋めてその上に水をかける風習がありそこからすっぱくないオレンジの樹が生えてくるとかいう話を信じるほど私は愚かではなかった。

 こんなおとぎ話みたいな話が彼の得意分野だったけれど、全部が全部想像の産物だと言い切れないのは聞き上手の犬の話があったからだ。この話をするときの彼の表情や語り口からは格別に情感が感じられるのだ。まるで見てきたかのように。別に彼は自分の話ひとつひとつに題名をつけていたわけじゃないけれど、私が昨日の話をもう一回聞かせてほしいなんて我が儘を言うと「ああ、聞き上手の犬の話ね」なんて応えてくれたものだ。この話は本当に彼の題名どおりのものでそれ以上でもそれ以下でもない。ある貧しい家には一匹の犬がいた。その家は父ひとり子ひとりの二人暮らしで毎日食べるものに困っていた。そんななか息子が老犬を拾ってくるものだから父親は戻してきなさいと言ったのだけれど、結局犬は狭い家に棲みついてしまった。

 その犬は一日のうち一回は町のどこかで必ず吠える。それは若い犬のように力強くはないけれど深みのある声だ。そしてすぐには鳴き止まない。だれかが駆け寄って背中のあたりを撫でてやると安心するのか段々と大人しくなる。二人には犬をつないでおく鎖や紐なんかも無かったから犬は放し飼いだった。だから犬は町の通りで大きな声で吠えることが多い。そうすると誰かが静かにしてほしくてすぐ宥めにくる。そんなとき始めは苛立っていたその人も犬の声に何を感じたか、怒鳴り付けることはしない。鳴き声が小さくなるにつれて同情を覚えるのか「辛かったよな」なんて言いながら自分の愚痴なんかもこぼしていく。犬が鳴き止むころには宥める側の顔も柔らかくなっている。町の人たちは犬に会えることを、会って話すことを楽しみにしているし、そんな存在にいつも感謝している。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る