お仕事だワン

 最近、派遣会社から紹介される仕事は不動産の展示場スタッフのものが多い。人生の中でも一、二を争う高い買い物の場に需要があるということは現状が好景気だということだろうか。そうだとするなら結構なことだ。俺としてはあまり実感がないけれど。

 住宅展示場スタッフといっても家の専門的なことは分からない。だから大抵はアンケートに答えてもらって景品を渡す係とかなんだが最近はちょっと違う。着ぐるみを着る現場が多いのだ。そういう場合は業務紹介のメールに着ぐるみを着ての業務となります、と断りが書いてある。その一文を見落としたとしても、時給がただのスタッフ業務より200円増しくらいになってるのを見て気づくものだが。着ぐるみの中は暑くてきついというのは、その手の仕事をしたことのある知り合いから聞いたことがあるが、背に腹は代えられない。それに今はまだ冬だから暑さはあまり問題にならない。


「赤がいい!」


 うん分かったよ赤色だね。どうぞだワン。心の中でこう呟きながら小学校低学年くらいの女の子に風船を渡す。別にしゃべるタイプのゆるキャラじゃないから、こんなセリフなんていらないのだがキャラになりきるためについやってしまう。いま俺が立っているのは舞台の上でもなんでもなく安っぽいテントの横なのだが、案外なりきるというのは重要で一挙手一投足にそれらしさが出てくるものなのだ。例えばこうやってやさしい子犬になりきっていると、風船を渡すときに子どもの目の高さに合わせてしゃがみ込むなんていう動作も自然と出てくる。

 女の子がお父さんお母さんといっしょにお庭の大きなお家のほうに行ったあと、双子の男の子がやってきたワン。色には別に頓着していないみたいで、ぶっきらぼうに一人は水色のもう一人は黄色の風船を僕の手から奪い取っていったワン。元気なのはいいことだワン。今日はいつもよりたくさんのお友達が来てくれて僕うれしいワン。今日は冬にしてはそんなに寒くなくて快晴だったのも理由の一つかもしれないワン。


「あっ、お疲れ様でーす」


 スタッフの休憩所として使っているプレハブ倉庫から大橋さんが出てきたワン。街灯の横の時計は見づらいけど、たしかに10分休みの時刻になってるワン。声は出せないもののしっかりと会釈して、あいさつを返したワン。あの人は僕よりも偉い立場だから粗相はできないワン。派遣はやっぱり不安定だから印象は大事だワン。人間の世界に馴染むのは大変だワン。

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