見下ろすイルミネーション

 さっき、いつもは乗らない普通列車に乗ると幼いわが子にお母さんが窓の外を指しながら話しかけるのが聞こえた。


 ほらイルミネーションだよ。


 私は彼女のこの柔らかい声を聞いていたく感心してしまった。そして自分の知らない人が言ったのにつられて節操もなく顔を向けた恥ずかしさなど忘れて夜に光る電飾を楽しんだ。

 いつもなら急行に乗るから乗っているのはくたびれた会社員だけで外に目を向けるものなど一人もいない。かく言う私もスマホか睡眠の二択だ。さっきみたいな子どもの声を聞くのなんていつぶりだろうか。まだしゃべれない幼子も声を出して母親に自分が色とりどりの飾りつけを認識して楽しんでいることを伝えていた。

 乗り換えたあとの電車にはほぼ誰も座っていなかった。まあそれも当然だろう。無人駅しかないような路線の終電なのだから。それでも私の頭の中には先ほどの一連の流れが再生されていた。子どもの目線までしゃがんだあと我が子と外を交互に見て語りかける母親。その様を見て喜ぶ子ども。思いの外さっきの情景が鮮明に思い出されたからか、私はいてもたってもいられなくなり、誰もいないのに席を立ち手足をぶらぶらとさせた。こんな奇行を誰かに見られていたら一発で警察かなんかを呼ばれるだろう。幸いにもこの車両には私以外だれも乗っていないのだけれど。


 ◆◆◆


 まさか自分が大学時代から今まで過ごしたこの場所をイルミネーションのきれいな時間帯に発つことになるとは思ってもみなかった。この子の幼稚園くらいまではここに居られるかと思ったのに。この子の父親は町の商店街を取り仕切っている人で、言ってしまえば私はその後妻のような立ち位置だった。お金には困らなかったし、よくしてもらっていたのだけれど私は一人暮らし時代の不安感を引きずっていて万が一のために自分が自由に使えるお金をある程度持っておきたかった。だからそれとなく伝えておいて隣町の知り合いのスナックを手伝っていたのだけれど、それがバレた途端、態度が変わってしまった。元々しゃべらない人だったのに、本当に何も言わなくなって声を出すのは怒鳴り付けるときだけという有り様だった。もちろんイヤな噂は町中にあっという間に広まる。あの人の愛人は恩も忘れて出稼ぎに行っているとかなんとか。

 だから私は肚をくくってせっせとお金を貯めて出ていくことにした。当然お金はそんな簡単に貯まらずしまいには餞別という名の手切れ金を渡され追い出された形なのだが。実際は。まあ、そんなことはこの子には関係ない。私は荒れた手で小さな手を握りながら反対の肩に掛けたボストンバッグが落ちないようにバランスを取って階段を下りる。

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