やすどたかし君

 僕は12月の上旬という微妙な時期に、旭橋中学校に転校してきた。


 朝の会でめずらしく先生の話が早く終わったと生徒たちが思っていると、先生が廊下に向かって手招きした。


 いーな、今日からこの1年3組に入ることになったやすどたかし君だ。えーっと漢字は、、、って中学生だし自分で書けるよな。ほら黒板使っていいから名前書いて。あとなんか一言な。


 ここまで恰幅のいい先生の横で突っ立っていた男子がよたよたと教壇に上がりチョークを手に取った。


 安戸 隆


 思いの外きれいな字。


 やすどたかしです。よろしくお願いします。言葉遣いは丁寧だが感情はこもっていない。よく分からない雰囲気の子だ。


 この日から数日経った頃だった。転校生という目新しいものへの興味も一周して、周りが距離感を測りかね出す頃。そんな日の朝、先生が来るギリギリ前に登校してきたクラスの男子がこう言った。


 安戸の名前ってさアンドリューになるくね?


 みな安戸が話題に上ったこと、しかもそれを言ったのは一軍キラキラ男子だということに先ず驚いた。そして言っている意味が理解できなかった。数秒後それを察したかのように秀才キャラの男子が、ああ漢字で書いたらそう読めるってことか、なるほど。と解説してくれた。


 言われた当の本人もそれで理解したらしく、反応に困っていたが続けて、よろしくなアンドリュー!と言われたもんだから笑っている。その笑みは心からのうれしさから来たもののようにも見えたし、名前をいじられたことに対する困惑のようにも見えた。ただ、そんなことはつるんだ側からすれば関係なかった。それにやり取りを見ていた周りのクラスメイトにも関係なかった。これで彼も一軍の仲間入りだった。


 当然、はじめから彼の隣とはいかない。いまは一軍男子の下っ端と言うくらいだ。それでも会話の輪には入れるし、何かを呟けば誰かに拾ってもらえる。それだけのことが彼にはうれしかった。いつも父親の転勤によって転校を続けている彼にとって自分がクラスの輪に入って友達とガヤガヤできるというのは憧れであった。給食の時間に誰かと馬鹿話をして食べるのが遅くなるなんてことに陥ったことは今までなかったし、ましてや余った牛乳のじゃんけんに参加するなんていうのはクラスに友達がいっぱいいて目立ってもいいやつにだけ許された特権だった。


 だから彼はその地位を楽しんでいた。話し相手に困らず、大きな声で話していても疎ましがられない。授業中に突飛な発言をしても白い目で見られないし、フランクな先生だったらアンドリューだっけなんて言って絡んでくれる。なんで「ア」ンドリューなのに出席番号が最後なんだよというツッコミに対して転校してきたからだ、と返すボケもすっかり板についた。




 そして二年生に進級してクラス替えがあったあと初めてのホームルーム。彼のクラスには転校生の女子がいた。初日から大騒ぎする彼らに対し、彼女が視線を向けた後、その人は安戸くんでしょ、アンドリューではないわ。名前で遊ぶのはやめたら。と言い放った。その場は凍りついた。



「いいや、俺はアンドリューなんだ」



 彼の大声が響き、教室は一瞬にして喧騒を取り戻した。

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