過去と現在のあいだの段差
「好き」という感情は何も人のみに抱くものではない。好きな色とか好きな食べ物とかが自己紹介シートみたいなものの定番項目であることからも分かるだろう。もちろん、その時々で好きなものというのは少なからず変わっていくものだ。だから更新を前提にいつもああいった質問はレギュラーを張っているのかもしれない。それでも好きな色なんかはあまり変わらない気がする。それよりも、うん、例えば好きな曲・歌とか。これなら割と変遷があるように思える。その一因は日々新しい曲や生み出されるからだろう。それに比べて色は新しく生まれるという類のものではあまりない。
気に入った曲をダウンロードしてセットリストに入れたり、ブックマークに登録したり、もしくはCDを買ったりということも日常にありふれている。少し時間があるときなんかに並んだお気に入りの曲のタイトルを眺めていると、首をかしげることがある。あれ、なんでこの曲を繰り返し聴いていたのだっけ、と。別にいまはその曲が嫌いだと感じるわけではない。ただ、熱狂したあの日が思い出せないのだ。正確に言えばあのときヘビーローテーションしていたという事実は思い出せても、当時、曲とともにあった高揚感や沈んだ気持ちというのを再現できないのだ。
当たり前じゃないか。好きな曲が変わったのは感性が変わったからであって、感性が変わったら変わる前とは違うのだから思い出せない。そういうものだと言われればそれまでなのだが、なんというのだろうか。自分がその曲と歩んだ道といま自分が立っている場所が地続きだというのが信じられないというか。いま後ろに向かって歩き出しても、あの頃には戻れないというか。降りられない段差を、一方通行の道路を来てしまったというか。まあ時間が一方通行で遡れないことこそ当たり前なのだから、当たり前のことを当たり前だと言っているに過ぎないのだろう。
この過去と現在の間にある段差についても思うことは様々だ。段差によって過去が洪水のようにこちらに押し寄せてこないとほっとするときもあれば、この段差のおかげで過去は見下ろせるけどもう戻ることはできないと絶望することもある。ただ、どんなときにも言えるのは自分がその段差の方を向き、段差に意識を向けているということだ。段差を認知しているということだ。だけどずっと平坦な道を歩いていると自分の後ろには段差があって、それを自分が乗り越えてきたということすら忘れてしまう。
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