本の人生

 『借りてきた日に読まなかった本は読まれない。図書館を利用しないなら買った日に置き換えてもらって構わない。それと同様に、』



 ここで先生の原稿は途切れていた。愛飲していたコーヒーでも淹れに行ったのだろうか。一階で倒れているところを買い物から帰ってきた夫人が呼んだ救急車が到着したときにはこと切れていたそうだ。最後の随筆集を出したいと先生直々に申し出があったものだから編集部もぜひともと体制を整えていたときだった。先生は時間を見つけては思い浮かんだことを原稿用紙に書きつけていたとお別れの会のときに夫人から伺った。


 結局、出来上がっていた原稿までを収録して遺作ということにして出版しましょう、ということになった。だから先ほどの文章はあそこで終わらせて注をつけるわけだが僕はその先が気になって仕方がなかった。


 同様に何なのだろうか。先生が出した本の喩えはほんの喩えに過ぎない。こんなジョークを飛ばしていた姿が思い出される。いざ新たに手にしたものでも熱が冷めてしまえば手をつけなくなる。だから熱の冷めないうちに手をつけろということが言いたかったのだろうか。鉄は熱いうちに打てというような。借りたもしくは買ったその日というのが熱いうちにという意味なのだろうか。それともその日に興味を失ったものなど一生興味を持たないままであって一時期の気の迷いに過ぎないというある種醒めたことを説きたかったのだろうか。


 本が暗示しているものとは何なのだろうか。


 そういえば夫人が主人は晩年人付き合いが億劫になってきたと言っていましたとおっしゃっていた。私と食事のときに話すくらいで、編集者の方とも最小限のコミュニケーションしか取らないようにしていましたし、と。たしかに先生からはそうするように言われていた。しっかりと締め切りを守って原稿は書き上げるから、と。


 じゃあ、本は人間関係を意味しているのか。どうなのだろうか。新しく人間関係を構築したとしてもすぐに連絡を取ろうと思わなかった相手とはそれまでだということだろうか。ううむ。どうもどこか納得がいかない。だって大御所と呼ばれるようになってからの先生は夫人の言う通り、人脈を広げることはしなかった。だから新しい人間関係なんてものには縁がなかったはずだ。


 ヒト・モノ・カネという言葉も思い浮かんだが、先生は不必要にものを手元に置きたがらないかただったし、お金に執着する素振りもなかった。困っていなかったからと言えばそれまでなのだが。


 ふと、ここまで考えて本が暗喩だという前提が間違っているのではという考えが頭をよぎった。だって先生は本を生業にした方なのだから。

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