批評家批評家メメント

「彼のコメントにはトゲが目立ちます。もう少し柔らかな言い回しをしたほうが言われている本人も聞き手も落ち着いてコメントを聞くことができるでしょう」

「反対に彼女のコメントは少し臆病です。オブラートを幾重にも重ねた結果、本当に言いたいことがぼやけてしまっています」


 こう得意げにキーボードに打ち込んでいく男の名は森正則。今年で41歳になった。平日は中小企業の課長として働きながら土日は自身のブログにこういった文章を書き連ねている。人に文句を言ったりアドバイスしたりするこの快感が森は癖になっていた。しかも批評家を評価する批評家というかつてないアイディア。森にとって批評家批評家メメントとして過ごしている時間が幸せなひとときであった。


 批評家批評家。森はこの活動を盲目になりがちな人間の羅針盤だと考えている。人は誰しも見つめているとき見つめられていることに気づかない。獲物を追っかけているとき自分が獲物になっているとは気づかない。この考えを土台に、彼は批評家として意見をつらつら述べる人たちに評価の鉄槌を下している。それこそが自分の業であると彼は信じて疑っていないのだ。


 森は言葉選びから話し方、論理展開のほつれ、情報の正誤など様々な角度から批評家を値踏みしていく。ラーメン批評家から政治評論家まで色んなその道の批評家に対して森は評価を下していく。実際、彼は羅針盤をコンセプトとしているが、彼のブログは批評家査定として名が高く、あることを調べようと思ったときに【批評家批評家メメントの海】をまず参考にしてどの専門家が頼りになるのかということを考える初学者も多い。



 と、ここまで読んでピンと来ている読者の方も多いかもしれない。この「しゃれこうべ」のフォロワーの皆さんなら。私は批評家批評家メメントが活動を始めたときから彼のことを観察している。まあ、熱心な読者とも言えるだろう。そこで私が最近の彼について思うことを述べてみようと思う。批評家批評家批評家しゃれこうべとなってしまうわけだ。奇しくも。


「まず、最近の彼の批評というか分析には深さが足りない。おそらく批評家批評の更新速度を上げるためだろうが下調べが甘い。昔の彼なら昔の寄稿や雑誌の連載などあらゆる媒体に掲載されているその人の批評に目を通してその批評家の特徴を導き出していたはずだ。それに批評全体も項目別の感想を並べ立てたにすぎない薄っぺらいものとなってしまっている。その他にも――」



 さて、これは獲物を目にしているとき獣は自らが獲物になっているということに気づかないとの思いから批評家批評家という活動をネット上で始めた森に対して、しゃれこうべと名乗る者が批評家批評家批評家しゃれこうべとなってさらに批評を加えているという、ある種批評家批評家メメントにとっては皮肉な入れ子構造が成立しているということだろうか。


 いや、事実は小説より奇なり、である。その証拠に森の活動名「メメント」は有名なフレーズ、メメント・モリから来ていてこれは「死を忘れるな」という意味の警句である。この言葉をモチーフとした絵画には大抵あるものが描き込まれる。それが人間の頭蓋骨である。つまり、しゃれこうべ。


 森は自らが他人の入れ子の中に入れられることを恐れ、自ら入れ子構造を作り上げたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る