相手を見つめて
「ごめん、今日はちょっと職員会議だから、いつものやつで」
「はーい」「分かりました、相田先生」
相田は長沢中学校の美術教師で美術部の顧問である。その美術部は幽霊部員が多く実質、活動しているのは二年生の田松と鹿本の二人だけだった。元から知り合いだったわけではない二人だったが、一年生の頃から二人で部活をしているうちに自然と仲良くなった。といっても話すのは部活のときくらいで、二人ともあまり相手のプライベートに立ち入るタイプではなかった。
相田が行きつけの店で注文するみたいに、いつものやつ、と言ったのは今日の活動内容のことだ。田松と鹿本が美術室の机といすを引きずって動かし始めた。
「田松、今日は何で描こうか」
「うーん、最近、鉛筆もパステルもやったし」
「水彩でもやるか」
「水彩ね。時間もあるしそうしようか」
今日は職員会議があるということで授業は五時間目で終わりだった。二人が画材を話し合っているのは既にモチーフが決まっているからだ。相田の言ういつものというのはお互いを描き合うということだ。顔だけでもいいし全身を描いてもよい。対象のことをよく見て表現すること、というのは相田が常々言っていることだった。
教室の机を全体的に後ろに下げて自分たちのいすと机だけを持ってきた二人は斜めにそれらを配置した。二人とも思ったことは同じだったようで、少し距離をとって絵を描いている相手を体ごと描こうとしているらしい。
二人ともパレットの用意も筆洗の用意も終えた。田松のパレットは前回使ったであろう様々な色がまだうっすらと残っており、鹿本の方は比較的白いままだ。
田松は一分くらい鹿本を見つめたあと下書きもせずに、チューブから出したそのままの紫を濡らした絵筆の先につけ輪郭をつくってゆく。今日の部活で完成させるから下書き無しで描いているというわけではない。これが彼のスタイルなのだ。一方、鹿本はお気に入りの2Bの鉛筆で田松の長身を紙の上に写し取っていく。
田松は紫の上にレモンイエローを重ねている。実際の人間はこんな色をしていないが、キャンバスに浮かび上がるのは鹿本という人間そのものである。鹿本も精緻な下書きを終えるとここからは速い。もはやデッサンとして完成しているのではないかと思えるその鉛筆画をあっという間に水彩で輝かせていく。
田松が藍色で影をつけているころ鹿本の方は制服のボタンを塗っていた。そして数時間が経って相田が戻ってきたころ二枚の絵は出来上がりつつあった。田松の絵は鮮やかな色彩と曲線美で鹿本を表現している。幻想的で儚い雰囲気の中に一人の人間を閉じ込めて表現している。鹿本の絵は実際に対し忠実であった。しかし、そこにあるのは単なる表象の複写ではなく田松の内面までもを包み込んだ絵であった。
「もうあんたたちに教えることなんて無いのかもしれないわね。まあ、いいわ。一分そのまま動かないでね」
そう言いながら相田は赤ボールペンで会議のレジュメの裏に二人の姿を描いた。
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