指示通りに店に向かう
「じゃあ、その角を右に曲がって」ワイヤレスイヤホンから落ち着いた声が聞こえる。
私が就職しているのはエージェントを派遣する事務所。やってることは実質、興信所の上位互換みたいなものだ。組織がそれなりに大きいので自分で案件を受け付けるなんてことはなく、上が取って来た業務をこなすだけだ。しかも私は下っ端。指示によって動く手足の役割が主である。だから今もこうやって木戸さんの声を耳で聞きながらオフィス街を歩いている。挙動不審になるといけないので基本的にはバディの指示通りに行動する。もちろん周囲の様子を窺ったり自分がつけられたりしていないかということに気を配ったりはするが。
今日は休日だというのに、しかも誕生日だというのに、木戸さんから連絡が入って急遽、出勤になった。とはいえ、いつでも業務にあたれるよう必要なものは家に持ち帰ることになっているので、事務所に出向く必要はない。それに今回の案件は私服でいつもどおりの格好でよいと言われた。イヤホンだけ付けておけということだ。今回は朝11時に出るというタイムスケジュールが既に設定されており、自宅を一歩出たところから逐一、右に曲がれ、バスに乗って3つ目のバス停で降りろなどということを指示されている。自宅の住所は申請済みだから不思議なことではない。自宅から向かうというのはあまりないパターンだが。
今はそのバス停を下りて歩いているところ。指示に集中しているからそんなに意識はしていないが割と歩いたのではないだろうか。そういえば今日はどういった類の仕事なのだろうか。尾行なのか下見なのか応援なのか。それとももっと報酬のよい仕事なのか。
「じゃあ、その角を右に曲がって」「信号が見えてくるからそれを渡って車線の反対側に行って」「そのまま直進して」「銀行が見えたら裏手に回って」「そこにレイロンってお店があるでしょ、入って」「木戸ですって言えば案内されるわ」
あらかじめ話を通してあるなんて用意周到だな。民間人の店を巻き込むわけにはいかないから細心の注意をということだろうか。まだあまり話が見えないけど。何も知らないであろう店員に促されるまま席に着く。ぷつっと音声が切れたのでどうしようかと思ったけど、怪しまれるのもいけないと思ったのでメニューを見る。どうやらバゲット専門店のようだ。
「お客様、お連れ様から既にご注文頂いておりますので、、、」
私がメニューに目を落としているのを見かねた店員が言った。どういうことだろうか。
「ごめんね、麻実ちゃん。お手洗い行ってたのよ」さっきまではイヤホン越しだった声を今度は直に聞く。木戸さんが店員さんにすかさず目配せをしている。それを受けて店員がこの店、一番人気とメニューに書いてあったバゲットを使ったサンドイッチを二つ運んできた。
「あっ、こっちは私の分ね。じゃ、麻実ちゃんお誕生日おめでとう。あとでケーキも持ってきてもらうからね」
状況を飲み込めていない私に気づいた木戸さんが言う。
「だって、麻実ちゃんお祝いするって前、言ったら恐縮しちゃったでしょ。だから、ちょっと手荒いけど許して」
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