メイクと一緒に

 はあ、昔ながらの体温計の赤い水銀を見ているかのように、自分の心の中が透けて見える。そんな気がする。まあ実際そうなんだろう。多分、私はいま落ち込んでいる。でも今は出勤前の朝6時。スマホを見て久しぶりの連絡があったからといって、会社を休んで感傷に浸っている場合ではない。こんな立派なことを理性は主張しながらも、やはり心のどこかで甘えが出てしまい、いつもは考えないようなことまで考えてしまう。でも、そんなことではいけない。こういう理性と感情のせめぎ合いを制してくれるのがメイクだ。


 洗顔、化粧水、ファンデーション。アイブロウ、ビューラー、アイシャドウ、アイライン、マスカラ。チーク、リップ。


 一つひとつ、丁寧に、慣れた手つきで行っていく。こういうメイクは人として、社会人として、最低限のマナーだと思うけれども、何よりも自分のためな気がする。なりたい自分になる、というのは何かのキャッチコピーみたいで気恥ずかしいけれど、そんな感じだ。まあ、そこまで意識は高くなくても自分に自信を持てるようにする、くらいの意味はあると思ってる。大丈夫、私はきれい。そう自分に言い聞かせることができるようにメイクをしているのかもしれない。


 同時にメイクを落とすことにも重要な意味がある気がする。時間が経てばある程度メイクは落ちてしまうけれど、それでも全部が落ちてしまうはずはない。自分で家に帰り着くなり、そのままベッドにダイブしてしまいたくなる衝動を抑えて洗面所でメイクを落としていくのだ。何もかも落としていく感覚。鎧を脱ぐような気分なのかもしれない。鎧なんて着たことないけれど。


 でも、メイクを落としたあと、どこか落とし過ぎてしまった気分になるときがある。それが何なのかは分からないけれど、それはメイクをする前には確かにそこにあったものである気がする。こういった気分になることは一回や二回ではない。メイクというものを始めたときから何回もこの感覚に陥っているのだ。


 メイクをしたときに閉じ込めたもの、メイクで閉じ込めたもの。そんなものたちをメイクと一緒にぬるま湯に流してしまっているのだろうか。そこに何かがあったことは思い出せても、それが何だったかは思い出せない。それでも、それを懸命に思い出すには自分は疲れすぎていて、そんな輪郭のぼやけたもののことなんて、いつもすぐに忘れてしまう。


 こんなことを寝付くまでの間に考えていると、脳が一日の疲労を訴えかけてきて、私の思考はぶつ切りになって宙に舞ってしまう。そして、どうせ朝、目が覚めたら何も無かったかのようにカーテンを開けて、私はもやのかかった空を見つめるのだろう。

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