認知能力概論シラバス

 人の認知能力と言うのは欠陥があるらしい。いや、それはある意味欠陥ではなく特長と言うべきなのかもしれない。まあ簡単に言えば都合よく捉えることができるのである。分かりやすい見方というのを自然に選び取るらしい。この傾向が錯視の一因とも言われている。たとえば(例示1)(例示2)というのが書いてあったとき1と例の間にある「)」と「(」がペアを作っていよるうには見えないのは、人間の脳が弓なりの図形を延長して考えるからだそうだ。その結果、括弧が閉じられるようにペアを作っていると捉えるらしい。他にもこういう例はいつくもある。直線と曲線が交わっているときなんかは直線と曲線が交わっているようにやはり見える。交点から四方に向かって線が伸びている図形とは捉えないわけだ。

 まあ、こんなことを唐突に言い出してどうしたんだ、という感じだろう。私自身どんな方向に話が進むのかよく分かっていない。しかし世の中には分からないことの方が圧倒的に多いのだから当然といえば当然である。自らを恥ず必要はない。それよりも知らないということを認めることが肝要である。私が知っているのは私が知っていることだけ、というのは誰の言葉だったか。しかし自分がまるで全知全能かのように振る舞う者が財を成す世界になってきているのかしもれない、とも思うのも事実である。怖いもの知らずで無鉄砲な方が自分を信じ切って前へ突き進めるというわけだ。

 こういう突進のイメージといえばイシノシが真っ先に思い浮かぶ。その子どもはうりぼうと呼ばれる。なんと愛らしい名前であろうか。あの模様もかわいらしい。実際にうりぼうを見たことはないけれど、一度はお目にかかりたいといつも図鑑越しに思っていた。背中の模様といえば鹿の模様、いわゆる鹿の子模様も魅力的である。あのふちが波打ったような図形の連続はなんとも言えぬ魅力を放っている。そういえば目くじらという酒落の利いた柄も好きである。最近は滅多に見かけなくなったが面白いものだと思う。

 と、まあこんな風に駄文長文を書き連ねてみた。しかもこれが大学の講義のシラバスの説明の欄に記載されているのだから学生諸君は大いに戸惑っていることだろう。申し訳ない。とはいえここまで読んでくれた人なんて数えるほどかもしれないが。でも私が意味もなくこんな文章を書き連ねているとは思っていないだろう。思われていたらちょっと心外だな、なんて愚痴をこぼしてみる。ということでここまでに校正で指摘されそうな箇所を5つ作っておいた。どうだい、人間の脳は自分に都合よく解釈するものだろう。そんなことに気づかず読めただろうから。

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