ホテルのフロントにて

 ぐるっ


 音も鳴らない滑らかな回転扉が開いた。

 澄ました顔の男子大学生が慣れないはずのスーツを着こなしながらフロント前のソファーに腰掛ける。背負っていたリュックサックを脇に下ろし、中からクリアファイルを取り出した。その中からA4の紙を取り出し、内容に目を通している。どうやらチェックインの時間を確認しているようだ。そして意を決したように立ち上がって紙をリュックにしまってフロントに向かう。不慣れなのがバレないように。


 19時にチェックインの予約を入れた前川です。


 今年で6年目になる後藤は高卒でこのホテルプリテンドに就職した。今では中堅フロントクラークだ。


 はい、前川様ですね。1121号室が用意できております。こちらにご記入ください。


 大学生の方は見たこともないくらいオシャレなペンを落とさないようにそっと持ちながら住所や連絡先の欄を埋めていく。途中、僕の住所ですか?なんて妙な質問をしていた。書き終わった紙を無言で渡すのは失礼だと思うが適当な言葉が見つからない。書きましたとか書けましたとかだと子どもっぽい気がする。そんなことで悩んでいると


 ご記入ありがとうございます。ではご案内いたします。


 と言われほっとしたのも束の間、次は別の人がやってきてキャリーケースを代わりに引いてくれ、そのままエレベーターに乗ってくれた。黙っていると、


 11階に着きましたらまず、非常口を確認していただきます。その後お部屋をご案内いたします。


 と言われた。沈黙に落ち着かなかった自分になんて行き届いた配慮なのだと感心しているとエレベーターが止まった。さっきの言葉通り非常口を確認し終わるとカードキーを渡された。


 それではごゆっくりとおくつろぎください。


 その落ち着いた声に少しの落ち着かなさを感じた前川だったが、ドアの奥に現れたピカピカの部屋に驚きそんなことなんて忘れてしまった。靴のままベッドに倒れこむのが流石に憚られたので使い捨てのスリッパに履き替えた前川はそのままベッドにダイブした。その心地よさのおかげで彼は翌朝まで一度も目覚めることなく夢の世界を楽しんだ。


 後藤は疲れていた。もちろんフロントクラークとして疲労なんて顔には出さないが、それでも疲れていた。彼はいま彼女と喧嘩中なのだ。しかも彼が先輩クラーク(女性)のことが好きなのではないか、と彼女が疑ったことに始まる。最後の電話のとき後藤の彼女はじゃあ確認する!と興奮した声で言っていた。そのとき彼は心底やめてくれと感じたが、こうして落ち着いて考えてみると彼女が直接泊まりに来るとは限らない。そう気づいてしまうと、どの客も敵に見えてしまい仕事が手につかなくなっているのだ。しかし、それはよくないことだなんて自分で自分を戒めるから後藤はどんどんと疲れていってる。ように僕には見える。

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