引き際

 昔の人たちは月は満月だけがきれいなのではない、とか桜は満開でないときも趣があるなんて言ったそうだ。確かに欠けている三日月や咲き始め、散ってる最中などもきれいだと思うけれど、満月や満開の美しさには適うまい、と僕は思っていた。さっきの昔の人が言ったことに対して僕みたいなコメントをしている古典作品もあったので共感した。他の人があまり目を向けないものに対して目を向けているのは大切なことだけれど、それは天邪鬼とはちょっと違うんじゃないのか、と最近まで思っていた。

 しかし、いま僕の考えは変わり始めている。時間を持て余して何気なく訪れた海。もうあの頃のように砂でお城を作ったりサンダルで水の中に入ったりはしない。腰を下ろして寄せては返す波を少し遠くに見るだけだ。それだけでも心が安らぐのだから海の持つ力というのは計り知れない。

 そう、さっきも寄せては返す波と言ったがぼんやりと海を見ていると「返す」部分に僕は非常に魅力を感じた。平静を保ってさぁーと大海に戻って行く海水。少し立ち寄っただけだからそろそろお暇と言って帰ってゆく紳士のようだ。高く大きな水しぶきを上げるでもなく上品に砂浜の方にやってきては身を引いていく。その安定した動き、無駄のない動きに僕は心惹かれた。動きにバラエティがあるわけではないのだけれど不思議と飽きない。

 腕時計の存在を思い出し文字盤を見ると一時間は経っていた。確かに子どもたちもパラソルの中に入って一休みしている。私も、と思って金平糖を二つ同時に口に入れる。ほのかな甘みが眼前の波を思い出させる。

 そういえばなぜこちら側とあちら側の境目は川なのだろうか。この様子を見ていると、引いてゆく波に連れられればそのままあちら側に落ち着いて静かにたどり着けそうな気さえするのに。こんなことを考えるうちに本当に試してみたくなった。長年連れ添った革靴の光具合を見て少し申し訳なく思い、頭の中にはその靴の手入れをいつもしてくれていた妻の姿が思い浮かぶ。その姿ももう十年前のもので、もし生きていたらと思いを馳せた。顔の皺は―—。そんな想像しないでくださいよ、と空耳が聞こえた気がする。


 じゃば。ざざざざざざ。

 じゃば。ざざざざざざ。

 じゃば。ざざざざざざ。


 裾を濡らした波が力なくもう一度裾を濡らしにやってくる。砂浜から離れてゆくにつれて波の動きをからだ全体で感じられるようになってきた。日に照らされたからだを海の水が癒してくれる。


 ざばっ。


 ひときわ大きな音が聞こえ前からやってくる。もちろん津波などではない。僕が歩を進めているだけだ。


 僕の後ろに波が戻ってきた。


 ざざざざざざ。

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