土砂降りの雨は
はぁ、今日も雨だ。停滞前線だとか線状降水帯だとか嫌になる。もはやいま、雨は頻繁に起こる災害の一つで多くの方が亡くなっているから、こんな適当に単語を並べるのも少し憚られるのだけど。一昨日からずっと雨。たまに止んだかと思えばそれはただの小休止。持久走ならとてつもなく有難いその存在もこの場面ではぬか喜びの要因でしかない。そういえば糠雨というのがあったな。まあ、これは霧雨みたいなもので今みたいな土砂降りとは似ても似つかないのだけれど。
むかし母になんで雨って降るの?と聞いたことがある。すぐさま小学校高学年の姉が妹に聞かれたわけでもないのに、空気中の水蒸気が――と言い出した。母は姉にそうだねと返しつつ、お空が泣いているんだよ、と教えてくれた。いま私は高校一年生でその説明が子供だましであることはもう知っているけれど、当時、妙に納得したのを覚えている。パラパラと軽く降るときもあれば、ここ数日みたいにバケツをひっくり返したような勢いのときもある。まだ降り続くのかと思えば、ふと止んでまた降り出すというのがあったり。やっぱり雨は泣くという行為に似てはしないか。
ということは――。今までこうやって雨について考えたことはあったけれど、それは大抵雨上がりのことだった。雨が降っている、空が泣いている最中に頭に思い浮かべるのは初めてのことだった。つまり、いま、空は泣いているということだ。そう思うと雨を恨む気は霧消していった。だって涙を流している人を責め立てたりなんてしないだろう?誰も。どんな理由で空が泣いているのかは分からない。すごいスケールの大きいことかもしれないし、小さなことかもしれない。私にとっては。でも、涙なんて概してそんなもの。心におさまりきらなかったものがせめても、ときれいな形で晶出したもの。
もらい泣き、という言葉の通り私の目にもなぜか涙が浮かんだ。なぜかは分からない。ただ目にうっすらと浮かんだそれはいつの間にか連なって一筋になって流れていった。でも、それだけだった。最近泣くことは少なくなってきた。中学の頃はわりと頻繁に泣いていた気もするが、今はそうでもない。大して悲しいことや辛いことが無いという説明は半分くらい正解だろう。そう思いたい。でも、残りの半分を何が担っているのか、その答えは私は知っていて、でもぼやっとその輪郭を思い浮かべるに留めていた。
そういえば、さっき涙を心から溢れたものとでも喩えた。この喩えを借りるならば、さしずめ心に何かを入れるのをやめた、というところだろうか。それとも、心が入れ物でなくなったというところだろうか。これくらいの喩えでやめておこう。
だから溢れることなんてない。
さっきから雨音が私の耳を刺激する。
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