幼稚園のときの子から手紙

 きみから感じているこの気味の悪さは何だろうか。俺はこんな誰に聞けるわけでもない疑問を几帳面な字で一行おきに埋められた便箋を前に呟いていた。封筒に書いてある差出人の名前を見る。大崎すぐる。彼は幼稚園で同じチューリップ組だった子だ。特に印象はないけれど、外遊びが好きだった俺とは対照的におえかきとかお花とかが好きだった子だった気がする。彼はその年の冬に引っ越してしまったので連絡は途絶えていた。小学校なら転校生とその後も連絡を取り続けるというのは分かるが、幼稚園の年少ならそんなのはレアケースだろう。それに俺たちは大して親同士も仲良くなかった。いわゆるママ友ではなかった。だから連絡が途絶えるのも当然。


 そう思っていた。ずっと。今は高校三年生。テニス部帰りの俺に母親が声をかけてきた。最後の大会前で練習もハードというのもあって、いつもならすぐにうっせえーな、で片付けるところだったが、その手には封筒があってこれ、誰だったっけと聞かれた。そうこの封筒がいま僕の机の上に置いてある封筒だ。本当にどうしたことだろうか。内容はいたってシンプルだった。



岡本洋太様


突然のお手紙すみません。


並木幼稚園の年少のときチューリップ組で一緒だった大崎すぐるです。


覚えてくれていますか?さすがに厳しいですよね。


あのときは名前順で隣だったのでよくおしゃべりしましたね。


特にこれといった用事があってお手紙を書いているわけではないのですが、普通そんなことはしないので驚いたでしょう。


僕は大学受験をしようと思っているので勉強を頑張っています。数学は天敵です。


岡本くんはいかがお過ごしですか。時間があればでいいけれど、お返事がもらえるとうれしいです。


大崎すぐる



 本当に内容は簡素なもので本人も書いているように、なぜこんな手紙を送って来たかとんと見当がつかない。とりあえず、風呂に入って晩ご飯を食べよう。



 いつものようにシャンプーの泡が飛び散ってしまった鏡をシャワーで流す。その見慣れた光景にピンときた。曇った鏡にお湯がつくる縦縞を見てだ。俺は適当な服に着替えて便箋をつかみとりキッチンに持って行った。みそ汁を温めなおしている母を横目にコンロを中火に合わせる。やっぱりだ。



岡本洋太様


突然のお手紙すみません。

後ろ姿を見ているだけでは飽き足らなくなってしまった僕を許してください。

並木幼稚園の年少のときチューリップ組で一緒だった大崎すぐるです。

残念なことに僕と岡本くんの共通点はこの一行で終わってしまうものなのですね。

覚えてくれていますか?さすがに厳しいですよね。

僕はずっと岡本くんのことを考えていたというのに。

あのときは名前順で隣だったのでよくおしゃべりしましたね。

そのときに話したことを覚えていてくれたのかな。この文字が読めているのなら僕はそんな惨めな期待をしてしまっていいのでしょうか。

特にこれといった用事があってお手紙を書いているわけではないのですが、普通そんなことはしないので驚いたでしょう。

僕も驚いているけれど。もう一度岡本くんの頭の中に浮かび上がってみたいなと思ってしまったのです。すみません。

僕は大学受験をしようと思っているので勉強を頑張っています。数学は天敵です。

もっと他に言いたいことがあるんだけど、あるんだけど、やめておきます。

岡本くんはいかがお過ごしですか。時間があればでいいけれど、お返事がもらえるとうれしいです。

ごめんなさい。お返事はいらないです。もちろん、こんな気味の悪いものに返事なんて書こうとは思わないだろうけど。それでも泡沫くらいには期待してしまうのが僕の醜いところです。


大崎すぐる

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る