雲を眺めて
二十五年前の夏、僕は夏休みという名目で持て余した時間を無為に過ごしていた。
ベランダから見える狭くも広くもない四角い空はもう見飽きていた。それでも他に見るものなど無くて僕はぼうっとそれを見る。よく見てみるとうっすらと白い雲が飛んでいる。綿菓子が大きくなる前みたいな小さくてか細い雲だった。それは風に急かされつつじんわりと左側に動いていた。ずっと見ているとほんとに少しずつ少しずつ動いている。走ってもないし歩いてもない。力を抜いて泳いでいるといった感じだろうか。速度記号でいうならばアダージョ、ゆるやかにというのがぴったりだ。確実に進んではいるのだけど相手には悟らせない。それも悟らせまいとがんばっているのではなく、悟らなくていいよと優しく語りかけてくるかのようである。ずっと見ているとあまり動いていないように見える雲も、目印を決めたあと十数秒も目を瞑れば変化は容易に感じられる。
こんな穏やかな景色を見ながら僕は少し抽象的なことを考えていた。突然という言葉がある。なんの前触れも無く事態が急変するさまとでも言うのだろうか。でもそんなことってあるのだろうか。例えば棒が倒れる様子だってシャッターを何度も切ればコマ送りで撮影できるように、実際には小さな変化の積み重ねでできているのではないだろうか。さっきの雲の話だってそうだ。雲が移動しているというのはじっと目を凝らしていれば分かる。でもぼんやりと視界の隅で捉えているだけでは分からない。自分が注目していた雲がどれだったかすら分からない。しかし祖父母に大きくなったねぇと毎回の如く言われるように、ある程度の時間をおけば変化は明瞭である。
到底、自殺するようには思えなかった。彼はいつも朗らかで、にこやかに挨拶を返してくれました。人望があっていつも人に囲まれている印象でした。こんな言葉がテレビで流されていても疑ってしまう。いつもはゴミが袋いっぱいに詰め込まれているのに前の燃えるゴミの収集日に出されたは袋にまだ余白があったとか、いつもより買っていく食材の量が少なかったとか、先の予定を聞いても言わなくなったとか、そんな変化は無かったのだろうか。別に僕は変化を見逃さなかったら自殺を止められたのになんて言う気はない。人は自分のことで精一杯なのだ。僕もそう。結局は自分に関係のあることだけ自分に都合の良いように頭の中で処理してきたのだろう。しているのだろう。
人は昔を懐かしみ始めたら終わり
どこで見たのかそんな一文がふと思い出された。
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