人生で一番悲しいこととは

『きみは、人生で一番悲しいことって何だと思う。』


 こんなフレーズが低い声で脳内に再生された。たしかこれは中学の同級生が僕にしてきた質問だった。今、彼はどうしてるだろうか、と思ったが既に成人式のときにはヨーロッパに渡っただとか、自殺しただとか、蒸発しただとか色んなうわさがあった気がする。不謹慎にも僕はその三択を聞いたとき、自殺かなと思ったものだった。

 当時、周りよりは大人びているという自覚があった僕だったが、彼は既に老成した雰囲気すら纏っていたし、この質問に返した僕の答えはそれはもう月並みなものだった。自分で口にしながら彼には及ばないと思ったものだ。僕は大切な人を亡くしたときなんて答えたはずだ。そしたら彼は、それはそうだけどもっと抽象的な話を僕はしてるんだ、とつぶやいた。

 あのとき彼は最終的になんて言ったのだったろうか。彼と一緒に歩くのは駅までだったからそんなに長くは話せなかったし、また明日と言って翌日には違う話題で盛り上がるなんてことは日常茶飯だった。彼の答えを聞いて確かに抽象的だなあと思ったことは覚えている。それに自分の答えは彼の答えのほんの一部なんだなとも思ったはずだ。はて、何と彼は言ったのだったかしら。



慣れ



 毛布に体を包みながらもずっと答えを思い出そうとしていると、また彼のぼそっとした声が響いた。そうだ、慣れ。慣れが何とかと彼は言っていたはずだった。慣れは怖い、というのは彼がよく言っていたことでもあった。しかしどういう文脈でこの話につながるのだったか。悲しい、慣れ、悲しいこと、慣れ。慣れることが悲しいことだったのだったか。どこか合っているような違っているような掠めているような。でも、彼の冷めた鋭さはこの答えにはない。違う。彼が言いたいことはこんなことではなかったはずだ。

 また考える。明日もいつも通りに起きないといけないのだが、そんなことはあまり気にならなかった。そうだ、慣れが悲しいのではなくて、たしか、悲しいことに慣れること、悲しむことに慣れることっていう言葉があったはずだ。うん、確かに悲しいことに慣れるというのは悲しい。最近は同胞の訃報を耳にすることも多くなった。毎回たしかに一つの命が失われてはいるのだけれど、やはり分母が増えるほど悲しみは薄まっていってしまう気がする。それが悲しみに慣れるということだろう。



『じゃあ、きみはまだ人生で一番悲しいことを経験してはいないね。』



 どこかからか、今度ははっきりと彼の声が聞こえた。ということはさっきの悲しみに慣れることが人生で一番悲しいこと、というのは彼の結論ではなかったということか。そう言われるとそんな気もする。



『よく聞くんだよ。人生で一番悲しいことはね、悲しみに慣れることに慣れることだよ。今、きみはまだ、悲しみに慣れているな、と自覚しているだろう。そういうことだよ。よい人生を送ってくれよ。』



 彼の声が淡い気の流れとなって身体の中に入ってきた心地がする。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る