完成しないジグソーパズル

 ジグソーパズルを始めた。暇つぶしに。そういえば、ジグソーとは糸のこという意味らしい。たしかにこの曲線美は糸のこぎりの賜物だろう。最近じゃ、立体的なものとか、自分で好きな写真をプリントアウトして作るものとか、そういう進化形もあるらしいが、僕はこのシンプルな奴が好きだ。ちなみに、多分もう一回やることはないだろうけど台紙に貼り付けることはしない派だ。僕が好きな題材は大自然を描いた水彩画や色鉛筆画。写真とは違う良さがある、と思っている。


 大体、最初は四隅を見つけてその後ふちを作っていく。ジグソーパズルの醍醐味はなんといっても綺麗な絵ができあがる最後の瞬間だろう。僕も異論はない。でも、それと同じくらいかけがえのないタイミングがあると思う。さあ、イメージしてほしい。最初はふちを完成させることを目標にして頑張る。ふちがひとたび出来上がれば、中の方に移っていく。ここくらいまでは一息に行けるのだけれど、次第に飽きてくる。それでも、ケースにプリントされている絶景に思いを馳せながら、一つひとつピースをはめていく。時折、微妙に噛み合わないピースに苛立ったり、無理やりはめてみたり、そんなことをしながら時間が経つのも忘れて絵を完成に近づけていく。


 段々と全貌が明らかになってくると台紙が見え隠れしている部分が途端に気になってくる。今までは多数派だったその生成り色の厚紙が急にみすぼらしく見えてくる。そこにはまだピースがない。ない。ない。その事実だけが眼前にありありと示され、その状況に耐えきれず、そこを埋めるピースを探す。

 その甲斐あって、空白地帯は少なくなっていく。それでも、最後の一ピースをはめるまでこの作業は続く。目的が一枚の絵をつくり上げることから空白を埋めることに変わっていく。埋まれば埋まるほど、埋まっていないところが目立つ。この作業の虚しさ。埋めれば埋めるほど、完全には埋めれていないことがはっきりしてくるという虚ろ。この虚無に耐えきることができれば最後には絵を拝めることができる。


 ただ、実際の絵は広大だ。無限の可能性なんて言われる。どこまであるか分からない。可能性は無限大。そう。人生に終わりはない。空白を埋めようとして新しいピースを探し求めても、まだこの穴は埋まらない。埋まらない。他の部分は埋まっていくのに、この穴だけは埋まらない。なんで、なんで、なんで。こんなに色んなピースがあるのに。こんなに新しいピースを見つけてきたのに。どれもこれも役に立たない。慰み程度にはなる。人生を彩る程度には。大きな絵の端の方を彩る程度には。でも、この穴は、この空白はいつまでたっても埋まらない。そんな気がしてならない。

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