波は減衰する

―—ぱしゃ


 秋の湖に石が落ちたかのように少し高いこの声は、もう会うことはないんだろうね。さようなら、という言葉は私の心に響いた。最初はぱあっと広がっていった波紋も段々見えなくなっていく。かすかに揺れる水面を見ながら感傷に浸る。どうせいつかこの振動も消えてしまう。揺れていた水面の景色も忘れてしまう。なんで揺れていたかなんて、すっかり忘れてしまう。それは残念で不幸なことなのだろうか。それとも不可抗力なのだろうか。はたまた幸福なのだろうか。


 やめてくれぇ。散々だ。ずっと耳に残響が居座っている。何をするときも、だれと話しているときも。か細い声を聞いたとき。甘い声を聞いたとき。ふと静かになったとき。周りがひどくうるさいとき。ふと気を抜いたときに俺を襲ってくる。でも、どこか俺は安心する。まだ存在するんだ俺の中に、よかった。そしてそんな安堵にうんざりする。いつも、俺が悪かったんだと罪の意識に苛まれる。道を踏み外したのも俺だし、道を踏み外させてしまったのも俺なんだ。そう思うことがある種の救いでもあったんだけどな。


 ああ、もう嫌だ。何もしたくない。何かをする意味がない。全ての根幹にあった彼女を失ったあの日から僕はさまよっていた。幹のない柳。でも、あの頃を思い出すと悲しくもなるけど微かに前向きになれる気がする。私も成長したのだろうか。無から有は生まれない。そんなことは知っているから私は数々のものを犠牲にしてきたのだろう。それらの姿は振り返っても確かめることはもはやできない。ただ無いということだけによってそこに在る、いや在ったことが分かるのだ。取り去られた墓石の下にだけ苔が生えていないように。


 やっと忘れられた気がするぜ。こんなことを言ってる時点で忘れられていないのを俺は知ってる。でも、でも、多分、忘れかけていることは事実なんだと思う。白ではないが赤ではない。段々白の割合が増えていってほんのりとした赤みすらもきれいさっぱり消えていくのだろう。まだ、あんまり純白は思い浮かべられねぇけど、別に純白がうらやましいわけではねぇが。真っ白に戻る前に他の色が混ざってくるなんてことも十分あり得るんだよな。こっちも想像できねぇけど。



―—ぱしゃ ぱしゃ ぱしゃ


―—バシャバシャバシャバシャバシャ


 石が投げ込まれ続ける湖面。誰にも気づかれず音を立てる湖面。気づかれないことに気づき激しく投げ込まれる石たち。それはやがて石の山を成し湖を干からびさせてしまう。それとも先に石が底をついてしまうのだろうか。

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