僕が怖いのは

 怖い。ジェットコースター、蜘蛛、高い所、先の尖ったもの、集合体、切手、イヌ、雷、お化け。よく人はこういったものを怖いと言ったりする。ひねりのあるものだと、人間なんてのもある。でも、違う。僕が怖いのは自分自身だ。

 別に僕はじわじわと上昇して急降下したり、天井に巣を張ったりするわけでもない。ただ、僕は自分が怖いのだ。小さなころから自分が平均的なタイプではないという意識はあった。別にこれは自惚れているとか、自分を中心に地球が回っているんだとかいう思い上がりではない。ただ、自分は人より抜きん出ているとかいうわけではなく、どこかずれているのではないか、と考えを持っていたというだけである。

 例えば、会話をしていて「そういえば、去年の夏にもニーチェの言葉の真相について議論したね」なんて言うと、よく覚えているね、と言われる。自分にとっては大したことないのだが驚かれる。まあ、でもこんなのはよくある話かもしれない。昨日、家に帰るとき遠回りしたでしょ、と声を掛けたら驚かれたことがある。他にも、つぶやきだけでなくリプまで見ていたらドン引きされたとか、自分は誘われていないのだけど相手の予定が分かったから敢えてそこに鉢合わせるように予定を組んで実行したら不穏な空気になったとか色々例をあげればきりがないが、これらのどこがおかしいのか僕には皆目見当もつかない。

 ただ最近、親切にも忠告してくれる友人がいるから自分のどういった発言、行為が世間一般的に枠からはみ出していて他人に恐怖を与えるのかということについては学習したつもりだ。まあ、自分ではあまり感覚的な納得はしていないということにもなるのだけれど。

 それでも今朝、起きたらその友人を介さなくとも自分が怖くなったのだ。いまはもう日が南中するかしないかといった頃合いである。自分の足がないのだ。実際には切れていてベッドの下にある。まるで靴は揃えて脱ぎましょうねと言われた幼稚園児が言いつけを守ったかのように、二本丁寧にまっすぐ右足と左足が並べておいてある。だから僕はうごけない。もちろん手も同じような状況だ。ただ、右腕だけは残っている。なぜだか僕は目が覚めてから数分考えて気づいた。僕の利き手は右手だから切ることが物理的に不可能だったのだ。

 僕が意識的に右手を制止したのではなかったのだろう、というこの推測にどこか安堵と更なる恐怖を覚えつつ、僕は腕組み、といっても右腕だけだがをしながら他のことを考えた。今はもうない足でさめた貧乏ゆすりをしている自分に気づき、だいぶ苛立っているみたいだとさめた自己分析をしていたら気づいた。おそらく僕はいま足元に打ち捨ててある包丁で誰かを刺しにでも出かけに行こうとして、そんな自分が怖くなり真っ先に足を切り落としたのではないだろうか。

 自分の推理に妙に納得してしまった僕は、そんな推理をあっさりとしてのける自分の理性とそんな考えを持ってしまう自分の理性が嫌になった。唯一動く右手で頭を刺した。

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