~始めました

 田舎というには近代的すぎて都会というには語弊のある街並み、いや、町並み。適当に目が覚めた駅で降りた僕はそんな感想を見知らぬ場所に抱いた。幸い今日は夏にしては控えめな日照り。元々散歩目的で外に出たからちゃんと水筒とある程度のお金とICカードは持っている。のんびり起床して最寄り駅から電車に乗ったのだが思っているよりもお昼ご飯どきに近い。気の赴くままに歩いて食事のできるところでも見つけようか。大抵、こういう雰囲気の場所には地元の人には有名な食事処みたいなところが存在する。

 舗装されていない歩道。伸び切った雑草。生ぬるい風。いろんなものが夏を奏でる中、僕は歩く。駅から離れるにつれあたりは田舎の様相を強めていったが、同時に民家が目立ち始め、また別の種類の活気が感じられる。このまま真っすぐ進むと次の駅にたどり着くようだからもう少し歩いてみることにしよう。そう思ったは良いものの、そろそろ水筒に入った水にも飽きた。ここはクリームソーダなんかが飲みたいところだけど、それはちょっと我が儘が過ぎるか。まあいい、とりあえず歩くことに集中しよう。段々と猫背になっていく僕を見てお天道様は笑っているだろうか。

 文字が書かれた布らしきものをぶら下げた小屋みたいなものが、大きい畑道のなかに見えてきた。目を凝らすと――ました。——始めました。ああ、よくある「冷やし中華始めました」か。なるほど涼しげでいい。決まりだ。オアシスを遠くに捉えた放浪者のような喜びに浸り、そのあと蜃気楼かと疑ったが違った。そこは蝦のように腰の曲がった老婆が一人で営むお店だった。

「めずらしいお客様だね。どうしたんだい、こんな田舎に。誰かの知り合いでもなさそうだしねぇ。」

「ああ、いろんなところを散策するのが趣味でして、それで。ええと、冷やし中華が食べたいんですけど。」

はいはい、そう急かなくても出しますよ。

老婆は慣れた手つきで黄色い麺を茹で始める。

「それでさ、お兄さん、冷やし中華って書いてない方は読めるかい。」

さわやか酸味をひたすらに求めていた男は一瞬何を言われたのかよく分からなかったが、すぐに、辺りを見回しだした。

「黄土色の布も下げられてるだろう。それだよ、それ。」

「ああ、ありましたありました。えーと、『走馬灯始めました』ですか。」

「そうだよ。注文してみるかい。今なら冷やし中華にタダでつけてるんだけどねぇ。」

男はなんとなく頭を縦に振っていた。

「じゃあ、行くよ。すぐに戻って来れるから、麺が伸びる心配はないよ。ほらっ。」


どんっ


 老婆は思いっきり冷やし中華のどんぶりばちをテーブルに叩きつけた。男は一瞬のうちにうなだれた。

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