坂道が好きだ

 坂道が好きだ。理由は簡単。傾いているから。平坦な道にはないその魅力。何がいいかって、聞かれれば、迷わずに答える。何もしなくていいから。正確に言えば、何もしなくてもいいし、もし、何かするなら、落ちていかないようにする、という明確な目標があるから。何もしなければ。ぼーっと紙袋からこぼれ落ちたオレンジのように下の方まで落ちていく。平らなところにたどり着くまで、ずっと落ちていく。途中で加速したり、小石に躓いたりしながらも最終的にはどこかに落ち着く。その頃にはもう元の姿ではない。よくも悪くも変わってしまっている。でも、そんな変化は平坦な場所では得られない。平坦な場所では自分から動かないと始まらない。どの方向へ、どれくらいの勢いで動くのか。これらを決めないと何も起こらない。当たり前と言えば当たり前だ。それに引き換え坂道は違う。何もしなかったら落ちていく。もしそれが嫌なら、逆の方向に向かっていけばいいだけ。落ちない程度に現状維持をするのも、その目安が分かるからやりやすい。坂を上りやすくするために、横に逸れようかしらなんて考えも浮かんでくる。


 こんなことを言っていると、何を言っているんだ。なんて言われそうだ。受動的、指示待ち。まあ、いい。そんなことは言われ慣れてる。でも、僕が言われているわけではないけど。僕みたいな人は無駄に擬態がうまい。あくまで浮かないように、他の人と同じ温度で生きているかのように、見せかける。これは難しそうに見えて簡単。簡単そうに見えて難しい。それでも、ずっとやっていると慣れてくる。そんな自分が嫌になるときもあるけど、というか今は嫌だと思ってるけど、この生き方がやりやすいから、空を揺蕩う吹き流しのような生き方が楽だから、選んでいることは事実だ。海風になびく緑色の髪。颱風をも受け流す柳の木。こんな象徴を思い浮かべて日々を食いつないでいる。


 それでも、どこかに向かって、泰然と歩きだしている人、努力している人に対しては羨望のまなざしを持っている。やっぱり。全てが自分の興味に注がれているような、興味に直結しているような過ごし方は尊敬に値する。そんな生き方が容易くはないことを知ってはいるけれど、いいなぁ、そんなことができてと思う日は少なくない。というか、そういった思いを捨てきれないから今も、こんなことをうだうだと書いているのである。


 最後にもう一度。僕は坂道が好きだ。平坦な道は大変。

 だけど、坂道も元々は平坦だったのではないか、そんなことも考えたりする。


 さて、立ち上がって、野菜室に入っているオレンジを切るとしよう。

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