洋2のクラフト封筒

 大学生になってからだろうか、一人暮らしをしているマンションの郵便受けに、封筒が配達されていたのは。あのときは初めてだったから面食らった。ちゃんと僕の部屋番号まで彼の丁寧な字で書いてあった。差出人は久野悟。同じ中学だったがあまり話さず、たまたま高校も一緒になったので話し始めた。僕たちの会話はいつも低空飛行と言った感じだが、それが安心感を生んでいた。


 大学生になってからは彼は実家から通学、僕は上京となった。そして、この時は大1の夏だった。茶色の―—くすんだ黄色ではない―—横長の封筒が送られた。糊付けを破らないように丁寧にはがすと中には何もなく、めくった部分の裏に鉛筆で一言、「会いたい」と書いてあった。そう、久野はこういう感じのやつだった、と思い出した。暗くも明るくもないトーンの彼の声が脳内に流れてきた。ここでも、脳内に響いたという感じではない。このときは帰省の予定があったから、それに合わせて日程を調整した。彼とのLINEは埋もれていたし、動いていなかった。


 このときはほんとに会って、彼が通っているという大学近くの喫茶店で数時間話して散歩したのみだった。近況報告や話題の映画の話と昔話なんかをした。あと、好きな花の話とか。黄色い菊がいいなんて言っていた。僕がなんて答えたかは覚えていない。


 これ以来、長期休暇の度に会ったというわけではなかったが時折、封筒が送られてきたら会いにいった。差出人住所が北海道のどこだったか、札幌かどこかになっているときは首をかしげたが、「放浪もいいものです。話そう」と書いてあったから、旅行中なのだと気づき、出向いた。これは、いつの話だろうか。有給を連休につなげた気がするから、入社したあとだろう。このときの話題はジンギスカンと御影石だった気がする。水族館にも足をのばしたと思う。


 僕が家庭を持った後も、たまに久野からの封筒は来た。さすがにシュヴァルツヴァルトからいつもの封筒が来たのには驚いたが、ヨーロッパ支社に行く用事があったし子どもの夏休みとかぶっていたから、妻も旅行旅行と乗り気だったので、家族で連れ立った。一番の理由は「家族みんなでぜひ来てください。にぎやかなのはいいこと」と彼が書いたからだが。この時は久野の子ども受けがよかった。印象的な笑みだった。


 ここから、久野からの封筒は数回来たぐらいだった。どれも、彼の——というか僕のでもある―—郷里から送られてきていて、彼はそちらに居を構えたようだった。家族もできたらしい。お互い、年相応な落ち着いた暮らしを送っていた。僕も妻と二人暮らしになって久しかった。


 そして、昨日から僕はこの故郷に戻っている。彼からの封筒が来たからだった。

「いつもは一言ふたことだが少し惜しい気もする。まあ、これからもたくさんおしゃべりがしたい」いつも通り封筒の内側にこう書いてあった。たまたま、横にいた妻も僕を覗き込んだ。二人とも、久野がこれからなんていう未来を示唆することに違和感を覚えた。彼は、よく未来なんて分からないと言っていた。妻の目線が動いた。封筒の裏が見たいという目だった。



 そこには、霊園の文字が見えた。整った字であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る