均 衡 

 棒倒しって何なんだろう。その辺にある砂をかき集めて、適当な木の棒かなんかを立てる。複数人で砂を順番に取り合う。ちょっとずつ取っても面白くないし、そんなんじゃ終わらない。倒さないように砂を減らしていく。倒したくないなら、砂を取らなければいいのに。取る分量を少なくすればいいのに。


 砂場で山をつくる。この時に砂は山のふもとから持ってくる。こうすれば、山の下にトンネルができあがる。大きなトンネルがつくりたくなる。同時に大きなトンネルもつくれる。途中でどっちかが瓦解して共倒れになる。でも、途中でここでやめよ、なんてことになったことはない。


 風船を無為に膨らませる。もうちょっと大きく、大きくそう思って空気を送り続ける。どこかで破裂する。そう、分かっていても空気を入れるのはやめない。そして破裂する。当然のように、あーあ、割れちゃったなんて言う。


 白いキャンバスに向かいながら、この状態が一番きれいなんだろう、と思う。ひとふで、一筆を加えながら、前より悪くなってると思う。完成した途端に投げ出したくなる。でも、完成させなければ、どこかで白馬の王子様が現れるかもしれない。


 トランプを上に積み重ねる。もう一段いけそうだ、そう思って、安定した土台を信じて手をかける。出来上がる三角形を綺麗だと思えるのは、それが永遠でないからだと分かっているからかもしれない。


 桜の花は散るからこそ美しいなんて嘘だ。ずっと咲き続けていた方が毎日こころが晴々するに決まってる。散った花びらは平気で踏まれてしまうし、花の咲いていない桜の木なんて誰も見てない。


 終わらせるために、始める。終わることをイメージしながら始める。行きの電車に乗りながら旅行を終えて家に帰ってドアを開けることを思い浮かべる。パーティーで楽しく飲み食いをしながら、お開きの図を思う。付き合い始めた

 終わるからこそ始められる。終わりは始まり。そうなのかもしれないけど、始まりは終わりというのも正しいと思う。一度始まってしまえば、あとは終わりしか残っていない。終わることでしか止まれない。


 始まっても、終わってもいないとき。凪いでいるとき。これが理想形なのかもしれない。でも、前にも後ろにも動けない。そんなことをずっとやってみたらどうなるのだろうか。テトラポットの上に片足立ち。竿の先の赤とんぼ。そこから見える景色を見てみたい。一度見てしまったら終わりだろうけど。

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