第28話


 阿都に到着した蘇我の軍は眼前に広がる光景に仰天ぎょうてんした。

 そこここに巨大な稲城いなきそびえたっていたのである。稲城とは藁を積んで箭の攻撃を防御をするものだが、これほど巨大なものは今まで誰も見たことがなかった。

 先陣を命じられた大伴連嚙おほとものむらじくい平群臣神手へぐりのおみかむては茫然とそれを見詰めている。大伴にしても平群にしても一度は宮廷において栄華を極めた族である。が、失脚してからというものその家系を維持するにあたって常に最も危険な先陣を命じられるのが常であった。

「さて、妙な」

 と大伴連嚙は首を傾げた。

「そうですな。物部ともあろうものが、稲城で守ろうとは」

 平群臣神手が頷いたのは、稲城には火をかけるのが常道であるからである。火をかけられた稲城は燃え防御の役に立たない。しかし戦に長けた物部がそれを知らぬ筈はない。稲城の尋常でない巨大さも不気味である。

「とにかく、火をかけてみましょう」

 と平群臣神手はいうと兵の中で強矢の者たちを選んで火箭ひやを射かけさせた。火箭は次々と稲城に突き刺さったが稲城は一向に燃え出す気配がない。

「妙であるな。誰か確かめてこい」

 平群臣神手が命じると数人の者たちが駆けだした。稲城にたどり着いた者たちが

「藁が濡れております」

 と叫んだ時、その者たちは稲城の上から雨あられと矢を射かけられ、たちまちのうちに絶命した。そればかりでない。稲城の裏からときの声と共にわらわらと兵が現れ、主力の軍に襲い掛かって来たのである。

退け」

 焦った大伴連嚙は命じた既に時遅く、軍は総崩れになった。大伴連嚙も平群臣神手も命からがら逃げだすのが精いっぱいであった。

 稲城は物部の広大な邸を取り囲むように設けられていた。どの方角から攻め寄せようと同じように撃退された。何とかそれを掻い潜って邸に近づいた者たちは、邸の近くにある大木の上に陣取った兵から矢を射かけられ命を落とした。

 その矢を射る者たちの中に、戦況を見つめつつ、北叟ほくそ笑んでいる守屋がいた。


「どうだ、敵は手も足も出ぬであろう」

 守屋は三人の息子を前に満足げに大声を上げた。三人の息子たちは同時に頷いた。

 夜になっても邸の内は慌ただしく人が行きかっている。篝火かがりび煌々こうこうと燃え、その明かりを頼りに夜の見張りたちが木の上から外の闇を睥睨へいげいしている。

「さすが、父上。稲城を築けと仰ったのを聞いて、そのようなもので大丈夫なのかと心配しましたが、水をかけて濡らすとは思いもよりませんでした」

 物部棟高が父を仰ぎ見た。

「これは以前、萬と相談して考えた戦法だ。水は邸の井から幾らでも出る。守りは万全じゃ。難波もこれで守らせておる」

 守屋のいう通り、夜となった今も何人もの男たちが井から水を汲み稲城の方へと運んでいく。稲城の裏には木で階が造られておりそれを登って上から水を掛けるのである。

「しかし、守っているだけでは仕方ない。この度の戦いでは蘇我馬子、竹田皇子も出張っておる。あの者たちこそ、皇祖をないがしろにし、異教を持ち込んで国を奪わんとしている者。今こそその首を取り勢いに乗って宮に攻め込むのだ」

 篝火の炎にゆらりと揺らいだ影の主、守屋が悪鬼のような形相で呟いた。

「父上、その暁にはどなたを帝として奉じたてまつるお積りでございますか」

 次男横木の問いに、守屋はにやりと笑った。

「その昔から幾たびか、皇統は断絶の危機があった。そのたびごとに血を継いでおるものを見出しては繋いできたのだ。心配するな。いくらも王はおられる。その中で優れたもの、この国の神を尊ばれるお方を見出せばよい。そうなれば諸族もわれらにつこうぞ」

 翌日守屋の軍は打って出た。

「馬子の首、泊瀬部皇子の首、或いは竹田皇子の首を取ったものには褒美を取らす。奴といえど、それぞれの領を没収したらそのまま分け与えるぞ」

 という守屋の命を聞いた兵たちは意気盛んであった。守屋の兵たちの中にはと呼ばれる奴隷たちも数多く含まれている。彼らは腕があっても人扱いされない。馬や牛と同じ扱いである。だが、腕さえあれば人並みの暮らしをできる可能性を持っている。萬はいわばその象徴の一人であった。

 邸を包囲していた馬子の軍はそこここで打ち破られ兵は馬子の居る陣まで迫った。命を懸けて迫ってくる守屋の奴兵に蘇我の軍は手も足もでない。慌てふためいた馬子たちは兵を退くと急ぎ軍議を開いた。

「無念だがここは一度退いて立て直さざるを得ないのではないか」

 春日皇子の言葉に皆、顔を見合わせた。それが本音であるが、臣下一人の軍に、それも奴を主力とする軍に敗れて落ち延びるというのが果たして許されるのか、という苦悩が顔に滲み出ている。

「どうなのだ、大臣。主こそこの戦いを言いだした者で長でもある。何か考えはないのか?」

 と問うたのは泊瀬部皇子である。馬子は黙ったままじっと動かない。

「ならば、致し方あるまい」

 歯ぎしりの音を立て泊瀬部皇子が同意した。

「ここで討たれては何にもならぬ。一度宮へ戻り、兵をさらに募って再び参ろう」

「されば・・・」

 と馬子が苦渋に満ちた顔を上げ、同意しようとしたその時、

「なりませぬ」

 と鋭い声が響いた。集っていた者たち皆がはっとしたように声のした方を振り向いた。

 そこに厩戸王がいた。普段は女と見間違えるほどに優しい顔立ちが、色は青白く、目は瞋恚しんいの炎を湛えたかのようにぎらぎらと輝いている。厩戸王はさっと立ち上がると懐から小さな四つの像を手に取り両手で掲げた。

「ここにおわすのは持国じこく広目こうもく多門たもん増長ぞうちょう。これらの仏は国を護る四天王でございます。この四天王にかけてこの戦いで決着をつけねばなりませぬ。また、この四天王が我々を助けてくださればそのご加護を讃え寺を建立し末永く祀りましょう。万一ここで退けば、仏の道は百年、いや二百年も遅れましょうぞ。退くことは決してあってはなりませぬ」

 唱えた皇子の側頭から自分たちを睨みつけてくる四天王像に皆が一瞬、後ずさった。

「しかし・・・」

 竹田皇子が呟いた。

「守屋の兵は強兵、このままで勝ち目があるのか?」

「確かに大連の兵は強い」

 厩戸王は頷いた。

「しかし、逆に大連さえいなくなれば、あとは赤子の手を捻る様なものでございましょう」

 そう言って厩戸王は馬子を見た。

「おお」

 馬子は思わず跪いた。天啓てんけいを受けたと思えたのである。

「然らば、この馬子も仏の御加護を頂き、三宝を必ずこの国の隅々まで行き渡るように致しましょう。狙うべきは大連の首一つ、そう考えれば一千の兵に一人が相手」

 と応じた。


「明日こそは決着を付けねばならぬ」

 同じ頃、守屋も邸の内で軍議を開いていた。

「横木、その方は明日巳の中刻を以って、主力を率いて戌亥いぬいに陣取っておる馬子の軍を蹴散し馬子を討ち取れ。馬子の首さえ取ればいくさ慣れしておられぬ皇子たちは皆屈するに違いあるまい。棟高、堅室その方たちはそれを見届けたならすぐに兵を率いて宮へと進撃せよ。但し、豊御食炊屋姫だけには手を触れるな。あのお方を以って、次の帝を正統と宣言させるからな。他の者は例え皇統に連なると申しても、歯向かうならばほふって構わぬ」

 その指示に皆が頷くのを見ると、守屋は莞爾かんじと笑い、運ばれてきた大杯おおさかつきを回し、皆一口ずつ中に入った酒を啜って誓いを固めたのであった。


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