第26話

「星が流れた・・・」

 指を示した萬の言葉に、付き人が掌を目の上に掲げ、北の空を見遣った。

「確かに・・・。大きな星でございましたな」

かんの空へと飛んで行ったが・・・」

「さようでございますな」

 付き人は答えた。どうやらこの男にはそれが自然の摂理としか見えないようである。僅かに首を振ると萬は、

「夜は冷えるな」

 と呟いた。目の前に小さな池があり、その中で月が揺れている。突如山の方からざっと強い風が吹いて水面を揺らし、月の影が散り散りに砕けた。

「妙な夜だ」

 萬の言葉を

「ですかな」

 付き人は軽く受け流すと、

「さて、中へと入りませぬか。戦を前に風邪にでも罹ってしまってはどうもなりませぬ。戦は近うございますぞ」

 と促した。


「あ、流れ星・・・。ご覧になりましたか」

 はしゃいだ声は来目皇子のものである。兄と共に邸で過ごすのは久しぶりである。自然と声が高くなる。

「そうですね」

 横に立った厩戸王は僅かに首をもたげると、星の流れて行った方角をじっと見つめた。

 やがて静かに首を振り持っていたしゃくを静かに懐へしまうと、星の流れて行った先に向かって手を合わせた。

「どうなされたのでございます?」

 来目皇子は兄の奇妙な仕草を問い質したが、

「残念だがこれから大臣の邸に参らねばならぬ。あなたも体が冷えるといけないから、中へお入りなさい」

 厩戸王は来目皇子に微笑みかけ、人を呼んだ。


「それでは・・・確かにお命は頂いたのだな」

 低い声で尋ねたのは蘇我馬子である。

「は」

 答えたのは佐伯連丹経手と共に兵を率いた土師連磐村はじのむらじいはむらであった。

「皇子は楼に登られた後そこから真っ逆さまに落ちたのでございます。楼から落ちてもまだ生きておられ、そのまま這うように隣の室へと入って行かれましたが、その室に火をかけ、辺りを固めました。誰一人としてその室からは出てこず、その火の中で命を落とされたと思われます。室の中には焼けて誰とも分からぬむくろが十体。ですが、その一つが穴穂部皇子であることは疑いを入れませぬ」

「うむ」

 というと馬子は目を閉じ、

「まさに火焔地獄かえんじごくのようであるな。邪見をすればそのような目に遭うものか・・・。だが、宅部皇子が残っておる。気を緩めるな。気付いて逃げぬとも限らぬ。一人たりともこの宮において物部と呼応する者を残すことはならぬのだ」

 と続けた。甥を殺すと決めたその時はさすがに躊躇を覚えた馬子であったが、今となっては躊躇する要素はない。宅部皇子も甥の一人ではあるがこうなれば一人であれ、二人であれ叛乱者に過ぎないと割り切っている。

「は」

 と応え、引き上げていく土師連磐村の姿が消えると、

「お聞きになりましたか」

 と馬子は背後に声を掛けた。背後の衝立ついたてにゆらりと影が動き、そこから静かに厩戸王の姿が現れた。

「これで、物部が奉じる先はなくなりました。後は物部を討つのみ」

 そう声を励ました馬子に静かに目を遣ると厩戸王は、

「穴穂部皇子の追福ついふくを致さねば・・・なりませぬな」

 と独り言のように言った。

「は?」

 と馬子は目を剥いたが、厩戸王の顔を見て

「・・・さようにござりますな。すぐに手配をさせましょう」

 と応じた。

 馬子の見た厩戸王の頬には、一筋の涙と深い哀れみの表情が浮かんでいた。

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