第24話

 中臣勝海がしいされたと聞いて守屋は驚愕した。蘇我とほこも交えぬうちに勝海が殺されるとは思っていなかったのである。知らせはおほやけからではなく、中臣の心利いた者から届いた。

「しかしなぜ・・・?」

 勝海が水派宮で暗殺されたと聞いて守屋は首を捻った。水派宮は押坂人彦大兄皇子のお住まいである。

「あの者は、あの者で工作を考えていたのだろうか」

 押坂人彦大兄皇子に守屋もひと時、熱心に働きかけたことがある。しかしこれといった血縁を背後に持たない皇子は蘇我と物部の争いに巻き込まれることを嫌って、旗幟きしを鮮明にしようとしなかったのである。そのことを勝海に知らせていなかったのは余計な事を言って勝海を惑わせるかもしれないと案じたからだ。勝海にとっては押坂人彦大兄皇子は穴穂部皇子よりも望ましい帝の候補であろうが、守屋にとっては押坂人彦大兄皇子は余りに恬淡てんたんとした御方で今一つ物足りない感じがしたのである。

 とにもかくにもそれまで守屋は中臣とどう連動して軍をするのか考え続けていた。その片方の要が突如失われたのである。

 まさか、あの押坂人彦大兄皇子にまで蘇我は手をまわしていたというのであろうか?

「おのれ、大臣め」

 中臣勝海を討ったのは蘇我馬子だと守屋は信じて疑わない。暫く考えると、叔父の八坂に人を二人つけて馬子に遣いを出すことにした。口上は、

「そなたたちが大連である自分を謀略によって亡き者にしようという噂がある。故に宮には参らぬ。勝海の最期を知っておるでの」

 という簡単なものである。

 宮からは帝の容態が更に悪化し、今後の事もあるので参内せよとの要請が頻りに届いていた。もちろん守屋は受けない。のこのこと出向けば自分は間違いなく殺される。

 中臣勝海が殺されたという事件を使い、参内を拒否する正当性を訴えると共に勝海を殺したのは汝だと知っておるとほのめかしたのである。口下手な者では馬子の弁舌に乗って自分を責める糸口をうかうかと与えてしまいかねぬ。遣いに選んだ叔父の八坂やさかは直情径行な者が多い物部の中では弁舌の立つ男であった。

 だが、遣いを出す直前で、守屋は暫し待たれい、と言うと、

「とは言え、帝の御容態も心配である。ついては大臣が槻曲つきくまの宅に籠っておられればその間に帝をお見舞い申す」

 と口上に付け加えさせた。

 蘇我馬子は宮の近くに三つの家を持っていた。その中で今、馬子が槻曲の家に滞在していると知っていると暗に伝えさせたのだ。それは大臣を怯えさせるに十分な筈である。

 宮で守屋の使者一行を迎えた馬子は口上を聞き終えると、暫く黙ったまま遣いの者を眺めていた。今まで見たこともない鋭い目つきである。八坂は掌が汗ばみ、体が震え出しそうになるのを堪えるのに必死であった。やがて馬子は、

「確かにその通り、大連は申されたのだな」

 と八坂に尋ねた。

「さようでございます」

 からからに乾いた口で漸くそう答えると、

「ならば仕方あるまい」

 と馬子は間髪を入れずに答えた。

「帝の危急の時に、参内もせぬ孝なき大連と汝の主はなろうよ。そしてその酬いが何であるか、いずれ大連もお悟りになられるであろう」

 それだけ言うと馬子は席を蹴って立ち上がった。そしてすぐに槻曲の邸の周りの警固を固めさせたのである。


 その三日の後、遂に帝は崩御なされた。

 仏教に帰依することなく、その生涯を終えることになった帝は、今はの際に供の者が身代わりに家出をし、寺と仏像を作りましょう、と言うのを聞いて嘆き惑ったと伝えられるが、死を迎えた意外に顔は穏やかであった。これで物部と蘇我の争いから、漸く抜け出ることができると思ったのかもしれない。

 帝の最期の姿を看取った厩戸王は藤衣へ着替えると、そのまま馬子の許へと足を運んだ。馬子は厩戸王を迎えると、大仰な仕草でその手を握り、耳元で

もがりをせねばなりませぬな」

 と呟いた。

「そうですね。ですが・・・陵を造営するのはだいぶ先の事になりましょう」

 厩戸王が答えると馬子は、確かに、と深く頷いた。

 それより先に決着を付けねばならぬことがある、と通じ合ったのである。馬子が重たげな口調で

「やはり・・・大連は穴穂部皇子を立てようと企てますかな」

 と問うと、、

「そうでしょう」

 と厩戸王は簡潔に答えを返した。馬子は気づかれないほどの微かな溜息をついた。守屋は滅ぼさねばならぬ。だが馬子とて甥である穴穂部皇子を殺したいとまで考えたことはなかった。まして皇統に連なる人である。実を言えば馬子もこの皇子を日継の御子の候補者として考えていなかったわけではない。

 いや・・・もし、姉である堅鹽姫に男が産まれずにこの皇子が皇統を継ぐ長子であったなら、迷わず日継の御子としたに違いない。

 しかし、母を異にする兄が自分の上にあると気づいた時から、真っすぐに伸びるべき幹は栃の木のように曲がり歪み、本来兄を盛り立てるべき心は大連に唆されるがまま自らの野望へと靡いてしまった。

 この皇子は兄二人が病死するという星回りにうまく乗れば帝になられていたのかもしれぬ。だが逆に、今となってみればその星回りがこの皇子にとって不運への道筋になってしまったのかもしれぬ。今までは何とか大目に見てきたが、この時にあたってまだ守屋と組むならば・・・、

「押坂人彦大兄皇子という事はございませぬかな」

 と念を押した馬子に厩戸王は軽く首を振った。

「押坂人彦大兄皇子はさような野心をお持ちでございませぬ」

「とすると、あれは中臣の勝手な動きであったか」

 吐息をついた馬子に向かって厩戸王は

「あのお方の周りに密かに人を配しなされ」

 囁くように言った。あのお方とは穴穂部皇子の事である。致し方あるまい、と目をかっと見開くと

「さように致しましょう」

 馬子が答えた。二人の会話はたいてい短い。

「ところで・・・すぐに帝を立てた方が宜しくないのでしょうか?」

 と馬子が尋ねたのは、帝を立てれば守屋たちを叛乱したものという口実が得られるからである。泊瀬部皇子を帝にするという誓いを違えぬ、と厩戸王に示すつもりもあった。だが、厩戸王は静かに首を振った。

「全てがすんでからで良いでしょう」

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