第16話


 それから半月ほど経った、ある晴れた日の夕である。穴穂部皇子はただ一人、供も連れず宮の奥に構えられた殯宮を訪れると扉の前で、

「穴穂部である。先帝の御魂みたまにお伺いしたいことがある。開けよ」

 と声を上げた。そこは神聖な場であり、宮を護る者を除いては帝かそれに連なるものしか中に入ることはできない。たとえ大連であろうと、大臣であろうと入ることはできない。だが先帝とは母が違うとはいえ、自分は兄弟である。皇族である。当然開けて貰える筈であった。

 殯宮の中には豊御食炊屋姫が籠っている。仕えている者も数人はいるが中に武人はいない。その場所で・・・姫を掻き口説き、もしも受け入れられなければ力づくで、と穴穂部皇子は考えていたのである。だが、殯宮の門は固く閉ざされたまま答えはなかった。

「殯宮を警固している者は誰だ」

 れた穴穂部皇子は外を警固している兵衛に向かって、声を荒らげた。

「三輪君でございます」

 畏まって答えた兵衛に、

「三輪逆か。なぜ開けぬ」

 穴穂部皇子は怒りに頬を染めて詰問したが兵衛は首を傾げるばかりであった。憤然とした穴穂部皇子はそのまま取って返すと、大連と大臣を呼びつけた。

「どうなされたのでございます?」

 何事が起きたのかと驚いて参上した大臣に向かって穴穂部皇子は

「どうもこうもない。私が殯宮に入りたいと申したのに、門をして開けぬ。王の血筋を軽んじておる者がおる」

 と、怒鳴りつけた。だがそこは大臣が管掌している場所ではない。筋違いの怒りの矛先を向けられた馬子は困ったように

「戸を開けぬ?殯宮の警固をしておるのは・・・確か」

 と首を捻った。そこに大連が遅れて現れた。穴穂部皇子が大連と大臣を呼び出したのには訳がある。

「三輪逆とよ」

 穴穂部皇子は鼻を膨らませた。だが

「どのような御用で中を・・・」

 と馬子が尋ねると一瞬たじろいだ。

「ん、何用と?・・・それは兄上を拝み、お尋ねしたいことがあったのだ」

 漠とした答えであったが、格別に馬子が怪しむ様子はなかった。悩むことがあれば先祖のもとに出向き尋ねる、そうした習わしはしばしばあることである。

 馬子と共に呼び出しを受けた守屋は黙したまま、さては先だって皇子が言っていたのはこのことであったか、と考えている。だが、どうも企みは思うようにならなかったようだ。それにしても、何故?

 穴穂部皇子を中に入れることがなぜ拒まれたのであろうか?まさか、企みが漏れたのであろうか?だとしたらここにいる男もそれに気づいているのだろうか?

 そっと大臣を盗み見たが、馬子も少し困惑した表情で穴穂部皇子の話を聞いているばかりであった。となると、話が漏れたわけではなさそうだ。と守屋は計算した。

 しかし一方で守屋は穴穂部皇子の意図を図りかねていた。これはあくまで宮の神事の範疇の問題であり苦情の行き先は帝であるべきだ。それを、政を取り仕切る吾らに向けるとは、どういうおつもりであろうか。それに企みが挫折した以上、吾らを呼び出してもなす術はないではないか。

 守屋のその様子を見つつ、

「その上・・・」

 と穴穂部皇子は話を続けた。

「三輪逆は、この庭を荒らすことなく、鏡のように美しく治めるのが私の仕事でございます、などとほざいたのだ。庭を治めるとはすなわち世を統す意思。僭越至極せんえつしごく、古来、おみが口にすべきことではない。帝、皇族、あるいは帝から託された大連、大臣だけが許される事である。それを三輪のごときただの一臣下が口にするとは怪しからぬ。斬り捨てても飽き足らぬ・・・。いや、私が斬り捨てて呉れよう」

 あっと、守屋は得心した。思惑の外れた穴穂部皇子は、次の手を打ったのだ。二度にわたって三輪逆に邪魔立てをされた穴穂部皇子はこれを機会に三輪を排除しようと心を決めたのだ。だとすればこれは政の範疇に入る。

「なるほど」

 守屋は慎重に応じた。

「それは聞き捨てなりませぬな。大臣はいかがお考えで」

「ふむ」

 と頷いた馬子の心中には先だって守屋に追従して自分が建立した寺を焼こうと企てた三輪逆に対する遺恨がある。この機に乗じて、守屋に靡かないとも限らぬ男を滅ぼすことに異存はない。結局、

「それが御心でありますれば」

 と守屋と馬子は揃って応じたのであった。

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