第15話


「いかがであろう」

 狩の名目で難波へと赴いた穴穂部皇子は、その夜、大連の別業なりどころで酒を酌み交わしている守屋と中臣の二人を目の前に、おもむろに切り出した。

「このままにしておけば、いずれ天の下は大臣のものにならぬとも限らぬ。もちろん大連の力を侮るつもりはないが、だが万一そうなれば、そなたたちも・・・」

 そう言って中臣の二人を見据えると、

「仏の道を唱える者たちが勢いづいて困るのではないかな」

「それはもう、その通りでございます。先の帝の病を治して見せるなどと大言壮語たいげんそうごをしたあげく、それが叶わなかったのに大臣の椅子にしがみついて・・・」

 そう答えたのは磐余である。

「そこで、一つ考えがあるのだが・・・」

 そう言うと部屋の隅で控えていた萬に視線を送ると、

「ここは三人とだけ、話したいのだが・・・」

 と暗に萬の退出を求めた。

「皇子、この者は私の資人であり、いざとなればその腕で邪魔者を排すことのできる者でございます。心置きなくお話しくだされ」

 守屋がそう答え、立ち上がった萬に座るように指図した。

「そうか・・・」

 穴穂部皇子は少し、困ったような表情をすると、

「この企て、武が必要というものではないのだが・・・。まあ良い。今肝要なのは大臣の一派の中からこちらへ味方する者を、それも有力な方を引き入れる事であろう」

 と話し始めた。萬は無表情のまま、もとの場所に座りなおした。

「それが叶うならば・・・しかし、」

 守屋は自分がいくら考えても思いつかぬことを言い出した皇子を遮ぎろうとした。

「まあ、待て、大連よ。私の話を聞いてくれ」

 穴穂部皇子は手をあげ守屋を制すると、

「今の宮は確かに大臣と繋がった者たちに制されておる。だが、一枚岩というほどではない。力をひっくり返すだけの味方を得れぬわけではない、と私は考えている」

「それは・・・どなたのことで?」

 守屋が身を乗り出した。

「先の后よ」

 あっさりと答えた皇子の答えに、守屋は思わずのけ反った。

「しかし・・・」

 先の后とは豊御食炊屋姫のことである。大臣の姪であり仏の道を信仰しているその人を・・・?思いもよらぬ名前に仰天している守屋を前に

「大連よ、よく考えよ」

 穴穂部皇子は冷静な口調で続けた。

「帝のお考えを変えさせるのはいくらそなたでも難しかろう。力押ししても、そこは大臣の一味が堅く固めておる。だが、帝に影響を与えられるお方、という風に考えればどうだ?よく考えても見よ。いくら味方を増やしたとて、有象無象うぞうむぞうでは仕方がない。またさような軽輩はいつ裏切らぬとも限らぬ。だが帝に強く影響を与える方を押さえれば形勢は変わる。違った風も吹こう。だとすればそうした方々の中から味方を捜すのが得策。とすれば限られるではないか。そして相手の手薄なところ、思っても見ぬ御方であれば猶更であろう」

「それは確かに・・・」

 先の皇后は月のような存在であるが、隠然とした力を持っている。もし味方に引き入れることができれば、有力な後ろ盾になるに違いない。

「しかし、どのようにして?」

 唾をのんで放った大連の問いに、穴穂部皇子はにやりと笑った。

「私の妻になっていただくのだ」

 守屋は目を瞠った。

「それは・・・思いもよらぬ・・・」

 言い差して、守屋は、

「しかし・・・それができれば」

 と腕を組んだ。中臣の二人もぎらぎらとした眼で穴穂部皇子の顔を見守っている。

「実のところを申せば、先の帝の后とならねば、私があのお方を貰い受けようと思っていたのだ」

 僅かに頬を染めると穴穂部皇子は告白した。

 そもそもこの姫は先帝の最初の后が亡くなった後に皇后に立ったので歳は帝より遥かに若い。そして七人の子を産んだにも関わらず未だに若やいだ魅力的な女性である。

「めでたいことではござりませぬか」

 磐余が張りを帯びた声で言った。

「皇太后とはいえ、お歳はまだ三十と四。子もまだまだ成すことができるお歳でございます。そのまま年をお取りになるにはまだまだ惜しい」

「確かに。そうなれば皇子にも・・・」

 守屋は呟いた。

 蘇我の家の出とはいえ、女は女。穴穂部皇子は女心をそそるだけの魅力を備えている。皇后とて悪い気はしないであろう。もしうまくいって皇后を娶ったなら、穴穂部皇子は帝を凌ぐ勢力を持ちうる。いや一挙に帝への道に近づく。先帝の皇后を妻とした皇族が帝になる例は確かにある。

「ですが、大臣が許しますかな?今生の帝もなんとお考えになられるか・・・」

 勝海が呟くと、

「それにまだもがりが明けておりませぬ。その妻であった御方の婚儀など・・・」

 と磐余が顎に手を当てた。

 殯は正式には三年である。いつの世でもそれに倣うわけではないが、少なくとも一年は喪に服すのが一般的であった。帝が崩御されて半年以上は経っているものの、場合によってはあと一年以上待たねばならぬ。

「そこのところは手を考えておる。相手にそう言い出させればいいのよ」

 穴穂部皇子の言葉に集まった三人は驚いて顔を見合わせた。

「いかなる手を?」

 守屋の問いに穴穂部皇子はにやりと笑うと、

「まあ、見ておられよ」

 といかにも自信ありげに答えたのであった。

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