第13話

 だが・・・。

 守屋の絶頂もそこまでであった。

 その日夕刻に、守屋は高熱を発し床についた。症状は明らかに瘡病みであった。奇しくも同じ日に帝も同様に病に倒れたのである。

 瘡病みは畿内きないに留まらず、噂と共に各地へと広まっていった。その噂とは、守屋が考えていたようなものではなく、反対に、

「寺を焼き、仏を投げ捨てた祟りに違いあるまい。大連さまは張本人だから仕方あるまいが、それをお許しになられた帝にまで祟るとは・・・。法難ほうなんとは恐ろしい事よ」

 とか、

「あの病で、仏は焼かれた時の苦しみを教え諭しているのに違いあるまい」

 或いは

「あのようないたいけな娘たちを笞で打った罰よ」

 というものであった。

 そして実際に瘡病みをして幸運にも死を逃れた者たちは、声高に

「身を焼かれ、打ち据えられ、砕かれるような辛さであった。あれは寺と共に焼かれた仏の苦しみであるに違いない」

 と周りの者に語ったのである。


 守屋の病状は重篤じゅうとくであった。時折目覚めることもあったが、荒い息で、

「わしが病に倒れたのを知って蘇我が攻めて来るやもしれぬ。邸の守りを固めよ」

 萬に命じると息子たちを枕頭ちんとうに呼んでこさせた。いざという時の遺言を伝えようとしたらしいが、途中で意識を失い、何を言っているのか分からなくなった。またある夜には突然、

「馬子が・・・馬子が攻めてきたぞ」

 と叫んで家の者を驚かせた。萬も内心主が身罷った時のことを考えないでもなかったが、守屋の生命力は年の割には存外しぶとかった。しばらくすると熱も退き、譫妄せんもうすることもなくなっていった。と、同時に自分が死んだ際のことなど考えることもなくなったようである。


 萬の家庭でも大きな変化があった。

 子を失ってからというもの、妻は鬱々とした日を送るばかりで、萬も常々気にしていたが、守屋の邸で天手古舞てんてこまいの騒ぎのあった日の夜、疲れ切って床で眠りかけていた萬の傍にやってきてその耳に、

「おまえさま、聞いてください」

 思いつめたような声で、故郷の有真香に戻りたいと告げたのである。

「どういうわけじゃ」

 萬の眠気は吹き飛んだ。慌てて身を起こした萬に向かって妻はつっと涙を零すと

「この地は子を奪ったところでございますから。居るだけで心が苦しくなりまする」

 と言葉少なく答えた。

「子は・・・またそなたと・・・」

 と言った萬に妻はかぶりを振った。妻は子を喪っていらい、萬とねやを共にしようとしなかった。

「この地では・・・嫌でございます。生まれてくる子に不幸が訪れるに違いありませぬ」

 そう答えた妻に向かって、しかし・・・、と呟いて萬は黙った。

 今の萬には妻を十分に構ってやるほどの余裕がない。守屋が健やかでいれば健やかでいるなりに、床についていれば床についているなりに忙しい。

 人心は荒廃している。そんな中に子を失った妻を一人置いておくのは心苦しくもあるし、妻が病に冒されないとも限らぬ。病は確かに国中に広がっているが、とりわけ宮の周辺で猛威を振るっているのである。それに有真香に戻れば妻の親戚も知り合いも何人か残っている。そうした者たちと交われば子を失った悲しみも少しは晴れるかもしれない、そう思った。

「そうか・・・、良かろう」

 そう言うと家の者何人かを割いて妻を里に戻すことにした。シロも一緒である。

「これはあの子の可愛がっていた犬でございますから」

 と妻はシロの頭を撫でつつそう言った。シロは大人しく妻に従った。

「あなたさまもできますれば・・・」

 葛城の山の麓の坂で、別れ際そう言った妻の言葉に頷いた萬であったが、なかなか簡単にいくまいと考えている。ただ、

「この地に居続ければあなた様とて病に・・・気がかりでございます。それだけではなく・・・何か良くないことがありそうな気がいたします」

 と心配げに呟いた妻の言葉を、去っていく妻の背中にゆるゆると手を振りながら反芻はんすうしている。

「そうなるやもしれぬ」

 道の半ばで妻は一度だけ、萬を振り向いた。そして寂しげに頭を下げると二度と振り返ることはなかった。萬は妻の旅姿が次第に小さくなっていくのを見送り続けた。

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