第11話

 守屋と中臣勝海の諫言かんげんを、次第に帝は持て余し始めていた。

「仏の道は祖を軽んずるもの、その祟りが今、眼前であらわになっておりますのに何を躊躇っておられるのですか、仏の道を禁じなさいませ。像を拝むなどもっての外、すぐに百済へお返しなさいませ、それができぬなら棄てなされ・・・」 

 会うたびに強く迫られるばかりだからだけではない。現実に瘡は燎原の火の如く各地に飛び火し、毎日のように人は死んでいた。それが仏のせいなのかはともかく、いにしえからの神の怒りを買っていると言われれば否定することはできないのだった。

 普段なら傍らに蘇我馬子がいてなんとか調和がとれるのだが、その馬子は病床に臥せり、いつ死ぬかとも分からぬ状態である。自然と守屋と勝海に押される形となって、遂に下した詔は

「罪が灼然いやちこならば、仏法を断つが良い」

というものであった。

 その言い方には逃げがある。灼然とは明々白々であればという意味であり、普通に考えれば仏法と瘡病みに明々白々というほどの因果関係はない。だからいざとなれば大臣にそう言い訳ができる、と考えたのである。

 だがその言葉を・・・。

 聞く者によってはそうとらえない。彼らはその間に明白な関係があると考えてこそ主張しているのである。帝の許しがあった、それとばかり守屋の一党は蘇我の立てた塔を焼き討つべく部隊を編成した。その中には萬も組み入れられている。

 萬の妻は大野丘に向かう萬に懇願した。

「子のかたきでございます。ぜひぜひ、やり遂げなされ」

 妻は今まで仕事の話に口を出したことなどない。その妻の激しい口調に驚きつつ頷いた。頷きつつも心の中では、できるならば、あの美しい像だけは燃やしたくないと思った。おそらくあの仏像は寺に祀られているに相違ない。自分が先に行けばあの像だけは救うことができるかもしれぬ。

 守屋と共に道行く心は急いていた。

 だが、寺に着いた時すでに火の手は塔を包んでいた。先行していた者たちが火を放っていたのである。萬は愕然がくぜんとしたが、その気持ちを悟られぬだけの分別は保っていた。

 火の手は塔の先端まで呑みこんでいたが、塔は意外にもしぶとくもちこたえた。建てたばかりでまだ木が水を含んでいるのであろう、黒い煙がもくもくと立ち昇り天を汚していく。火の粉は取り巻いて見守っている守屋たちの辺りまで盛んに降って来た。

 やがて立ち昇る炎に耐えていた塔がゆらりと揺れた。先端の相輪が傾くなり、どっと大きな音を立てて地面に落ちた。それが合図ででもあったかのように紅蓮ぐれんの炎に包まれた塔頭たっとうは火の粉を噴き上げながら崩れ落ちた。

おーっ、という歓声が上がり集まった兵たちがほこで地を突く響きがあたりをとよませた。


 熱が引くのを待って守屋と萬は焼け落ちた塔の中に入った。

 建物の形は殆ど残っておらず、見上げれば冬の薄青い空の色をさえぎるものとてない。ぶすぶすとくすぶっている柱が薄紫の煙を空へ吐き出している。煙を立ち昇らせている落ちた棟木の一つを蹴飛ばすと守屋は焼け残った石の像を指さして萬に、

「これを難波の江に捨ててこい」

 と命じた。その像は以前、萬が蘇我の家に行ったときに盗み見た像と同じものであった。火にあぶられ、胸から上は黒焦げであり、あの時萬に微笑みかけた眼差しは黒々と炭に覆われあたかも瞑目しているようである。

 木の像は焼け切ってしまったのか姿形もなかった。黙然もくねんと立ち尽くした萬に

「うん、どうしたのだ?」

 主は不審そうな目を向けた。

「いえ、何でもありませぬ。承知いたしました」

 と萬は重々しく答えた。

「なるべく早くせよ。像を捨てたらすぐに戻れ。大臣を糾弾きゅうだんしに参る。像が沈む様をとくとみてこい」

 守屋は肩を怒らせ、そう萬に命じると立ち去った。

 やがて冬とは思えぬ温かい風が西から雲を運んで来てぬかのような雨をあたりにもたらした。その雨で焼け残った石像は盛んに湯気を上げたが、暫くすると湯気も上がらなくなり、一晩過ぎた朝には残った熱もあらかた引いたようであった。

 邸に戻った守屋からは太い綱と木のくいが届けられた。萬が頼んだものである。その太い綱を使って像を引き倒させると、衝撃で像の頸が転げ落ちた。作業に従事していた者たちはそのさまが面白かったのか一斉に喝采かっさいしたが萬は肩を竦めただけで、無言で指揮を続けた。丸太の上を転がしてかれていく首のない像の姿を見送った後、焼け跡を歩き回っていた萬はその中央あたりに不思議な塊を見つけた。

 持ち重りがして黒く表面が焼けている。その表面はまるで炭のように細かい穴のひびが入っており、古い骨と言われればそうも見える。さてはこれが舎利と呼ばれたもののなれの果てであろうか、と考え萬は懐にしまった。

 像を船に載せおえたという知らせがあり、萬は別の船に乗ると難波の江まで降るように命じた。像を載せた船は船端が水に呑みこまれそうに沈み込んでいたが、ゆっくりと岸を離れるとなんとか持ちこたえてそのまま難波へとたどり着いた。だが、難波についた途端、波にあおられ、あっという間に沈んでしまった。それに巻き込まれて水夫が二人犠牲になってしまったが、どうしようもなかった。

 見届けると萬は急いで守屋の許に戻った。待ち構えていた守屋は萬の話を聞くと、満足げに頷いた。

「二人失ってしまいました」

 と詫びた萬に、

「よい。すぐに仕度せよ。これから大臣の許へ参る。仏像の最期を話してやるがよい」

 守屋は勢いよく立ち上がった。


 主人は病に伏せております、と蘇我の家の者は一行をこばんだが、守屋は帝の御意思ぞ、と怒鳴るなり抵抗する家の者を手にした杖でたたき伏せ、邸のうちへ強引に押し入った。

 家の者の言った通り、馬子は床に臥せっていた。

 入って来た守屋を見ると、馬子は床から上半身を起こし、目をみはった。頬はこけ、髭は伸び放題、あれほど見事だった髯は茶色に煤け白いものが混じっていた。何よりも顔や首にできた瘡の跡が、以前纏っていたきらきらしいみやびさを台無しにしていたが、体を起こす仕草は思ったより遥かに敏捷びんしょうで病状はよほど良くなっているようであった。

 馬子の枕頭ちんとうには剃髪ていはつした男たちが三人いて、一行が入ってきても構わず馬子の回復を祈る経を読み続けていた。守屋はいきなり一番近くにいた男の背を蹴り、あやを弁えよ、と一喝した。男は、げっ、と呻いて前向きに倒れ、それを見た他の二人は恐れおののくように経を止めた。

 気まずい沈黙があたりを覆った。その沈黙を破るように

みことのりを承知しておろうな」

 守屋が太い声を上げた。

「寺は焼いた。僧、尼僧は残らず、笞打ちにすると決まっておる」

 馬子の枕元で先ほどまで経を唱えていた男たちはそれを聞くと怯えたように身を寄せ合った。その男たちにちらりと目線を遣ると、

「他にも女たちがおったそうな?その者たちはどこにいる?」

 尋ねた守屋に馬子は静かに首を振った。それを見た守屋は、にやりと笑みを浮かべ仏の道の罪を述べ始めた。

 病の蔓延、天候の不順と今年の不作、地震、ありとあらゆる災害が仏を祀ることによっておきたのだ、と守屋は滔々と述べたてた。そして、

「女たちの居所を教えねば、その罪はこの三人の・・・」

 と男たちを指さした。

「罪を重くしてあがわねばならぬ。これほどの罪を三人で負うとしたらすなわち刑じゃ。それでもよいか?」

 刑とは死罪の事である。それを聞いて三人の男たちは更に身を縮こませた。大臣である蘇我に罪を負わせることはならぬ、と帝は釘を刺していたがその効力はこの男たちにまでは及んでいない。

 馬子は暫く沈思すると、

「仏は人が死することを望んではおらぬ。男も女も刑に処さぬとは約束してくれるな?」

 と問うた。落ち着いた声である。守屋は唇を歪め、

「逃げ隠れをせねば刑に処さぬ」

 と答えた。

「ならば・・・」

 と言うと、馬子は女たちの居所を教えた。馬子もその罪を自分で負おうなどという気はさらさらないようである。守屋は、萬と共にやってきた佐伯造さえきのみやつこという男に女たちを捕えて来るように命じた。

「仏の像は・・・どうなった」

 と馬子は尋ねた。守屋は萬に向かって頷くと、

「話してやれ」

 と促し、萬は訥々と石仏の最期を語った。

 作業中に仏の首が落ちたという話を聞くと馬子は体を屈め、耳を覆うようにした。萬が話し終えても馬子は暫く体を丸めたままでいたが、やがて萬を恨みがましい目で見ると喉をひくりと動かし、

「お主、名を何という」

 と尋ねた。

「捕鳥部萬と申します」

「捕鳥部?」

 と聞き返した馬子の口調にはその出自しゅつじを嘲るような響きがあったが

「捕鳥部・・・萬・・・よろず?」

 馬子の表情は、突如刺すような視線に変じた。

「お主が萬という者か?」

「さようでございますが」

 萬は内心首を傾げた。大臣とあろうお方がいちいち他家の一資人の名前まで覚えているはずがない。だが、馬子の声には明らかに萬の名を知っている響きがあった。

 馬子は暫く目を瞑っていたが、やがて、

「この盗人めが・・・。その上、それほどの罪を重ねたなら、お主には必ず重い仏難が訪れるであろうよ」

 と淡々と言った。もうすぐ雪が降るな、とでもいうような物言いであった。

「何の、却って八百万やおろずの神に護られるに違いないわ」

 と守屋が言い返したが、萬は内心、奇異に思っている。盗人である、と馬子が喝破かっぱしたからである。もしや、焼け落ちた寺で萬が舎利と思しき物を拾ったことをこの人は知っているのであろうか?

「私が何を盗んだと仰せに?」

 あの時拾った物なら今も懐に入っている。だが、馬子はぷいとそっぽを向いて何も答えなかった。

「これの事でございましょうか」

 懐から寺の焼け地で拾った物を馬子の前に置くと、守屋が、

「なんじゃ、それは?」

 と覗き込んだ。

「石ではないか?」

 馬子は暫くそれを見ていたが、突如、

「おお、これは・・・」

 と目の前に置かれたものを掻き抱くようにした。

「舎利ではないか」

「萬っ、それを渡してはならぬ」

 守屋が怒鳴ったが、萬は静かに主人を振り向くと、

「あれはただのくろがねの塊でございます。の入った鉄ゆえ骨のように見えるだけでございます」

 と言った。

「鉄?」

 大連はびっくりしたように萬を見た。

「ちがうっ。これは間違いなく舎利じゃ」

 馬子は掻き抱いたものを必死に守っている。

「大臣がそう思うなら結構でございますが、物部は鍛冶の氏族でもございます。鉄かどうかなど見分けることは容易」

 と断じると、

「これで盗人呼ばわりはご容赦いただけますね」

 と馬子に問うた。だが、馬子はゆるゆると首を振ると、

「これを返したところでお主は盗人だ。それは相違ない」

 と答えた。その返答に萬はきっと目を上げると

「私を盗人よばわりなさるならばこちらからも大臣にお尋ねしたいことがございます。吾がいずれ大臣の申される通り仏に懲らしめられるということであれば、せめてお答えいただけないでしょうか?」

 と馬子に問うた。守屋も馬子も驚いたような顔をしたが、

「よかろう、申せ」

 と馬子はかすれた声で答えた。ちらりと萬を見たその眼は興味ありげにまたたいている。

「仏を信じる者に病が生まれ国に病魔を蔓延はやらせたと噂がございます。なぜ仏を奉ずるもののうちに病に罹った者とそうでない者がおられるのでしょう?聞けば厩戸王は仏を信じておられるにも関わらず病に罹っておられぬとのこと」

 守屋は萬の問いに一瞬、嫌な表情をしたが、馬子は良くぞ聞いたとでも言うように、

「それはそのような噂はでまかせだからだ」

 と言って守屋を見た。だが萬が

「ならば、何の罪にて大臣は病に冒されたのでございましょう?なぜ仏は大臣をお守りなさらなかったのでしょうか」

 と続けて尋ねると今度は馬子が嫌な顔をする番であった。

「知らぬわ」

 馬子が不機嫌そうに答えると再びあたりを沈黙が支配した。その沈黙を破ったのは三人の尼たちを引き立ててきた佐伯造である。

「引きたててまいりました」

 と鐘の割れるような声で申し立てた佐伯造の後ろから足音も立てずしずしずと歩いてくる女たちを見て萬は驚いた。先だって大野丘で見た女たちである。あの時は遠目から見たので気付かなかったが、女たちは

「まるで子供ではないか」

 というほどに若い。馬子は女たちを見るなり、

善信ぜんしんさま・・・禅蔵ぜんぞうさま、恵善えぜんさま。申し訳ございませぬ」

 と身を投げ出すようにして泣き騒いだ。

 それまでの冷静さをかなぐり捨てたその振る舞いには嘘くささが満ちているように思えた。その馬子は何を思ったか、鼻白んでいる萬をわなわなと震える指で指し、

「この男が寺を焼き、仏を堀に放り捨てたのでございます。そして尼さまたちを捕えてこのような・・・」

 とわめいて突っ伏した。

「この者が仏になした事と同じような罰を受けますように、祈ってくだされ。地獄でこの男の身を焼き尽くすようにして下され」

 呪いに満ちた言葉に立ち尽くした萬に向かって、尼の先頭にいた少女は小さく頭を下げた。その表情には憎しみも怒りもない。まるで隣人の娘が挨拶してきたかのような何気ない仕草で、不意を突かれた萬も思わず低頭した。その姿ににっこりと笑みを浮かべた少女は、わなわなと震えている馬子の手を取ると

「馬子さま、お気をわずらわされますな。病が癒えたばかり、お体に差し障りますよ」

 と鈴を振った音のような声で諭し、

「仏の道は法難の道でございます。私共の事はお気遣いくださいますな。私共は家を出たときに覚悟をしておりますよ」

 そう続けた少女の言葉に後ろに付いた二人の女も頷いた。守屋は胡散臭うさんくさげな眼でその様子を見ていたが、

「ここにおる者どもを引っ立てよ」

 外に控えていた兵たちに向かって怒鳴ると後ろも見ずに大股で歩き去った。目を伏せ、抵抗せずに縄に繋がれる少女たちの姿を一瞥いちべつすると、萬もすぐに主の後を追った。

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