第9話

 萬は子を胸に抱きながら野を歩いていた。

 柔らかな風が脇を吹き抜け、陽のぬくもりが体に心地よい。こんな穏やかな心持になったのはいつ以来であろう?いや、よく考えてみればこれほど満ち足りた気持ちになったことは生まれてこの方なかったかもしれない、、、。なぜだろう、と萬は己の心に問うた。子を抱いて野を歩くのは初めてではない。だが子の温もりを今日ほどに幸せに感じたことは今までなかった。

 蘇我の邸を訪れた翌日の休みの日の事で、萬の跡を追って来た犬は萬に付き添うようにして横をゆっくりと歩いている。その様子はまるで十年も飼われていたかのようである。

「お前が来たからか?」

 歩を止めて犬に問うと、犬も歩を止め、くぅん、と鳴いた。見上げるように萬の方に視線を送ったが、その視線の先からも犬に向けられた視線がある。萬の子の目線である。犬が自分を振り向くたびに子は顔をくしゃりとさせて笑いかける。萬の子で三歳になったばかりの男の子である。犬をことのほか気に入って、朝からかまどのそばで犬とたわむれてばかりいた。

 妻に言われ、萬は犬と我が子を連れて野歩きをしている。


 それにしても不思議な犬であった。

 朝、子が目を醒ます前に家の前に出てみると犬は昨夜と同様に戸の前で座っていた。腹を空かしているだろうと、家人に少し古くなったししの肉を取りにやらせ、

「シロ、食え」

 と目の前に投げたが、犬は投げ出された肉をじっと見つめると食いもせずに萬を悲し気な目で見つめた。たいていの犬は餌をやれば遣った人さえ見向きもせずにがつがつと食らうものである。

「腹は減っておらんのか?」

 と尋ねたが、むろん犬からの答えはない。ならば、よほど狩のうまい犬であろうか、餌など自分でまかなっておるのであろうかと、猟犬の訓練をする時の道具を犬の目の前で放って見せた。雉の羽を木の枝に結いつけた道具で、狩の犬ならば一目散にそれをめがけて走り出す代物しろものである。だが、犬は一向に走り出そうともせずに、萬のほうった道具の方向をじっと見ているだけであった。

 力任せに投げたためにどこに飛んでいったか分からぬ道具を、地を這うようにして萬はようよう見つけると、不思議そうな顔をして後をついてきた犬の頭を撫で、

「餌は要らぬ、だが狩の役にも立たぬ。お主はついえもかからぬが、役にも立たぬ犬じゃ」

 と評した。だが家に戻ると目覚めた子が帰ってきた犬を見つけ妙に懐いた。萬の子は誰に似たのかきかん気で起きたばかりの時はいつもなら盛んに泣くのだが、泣くのを忘れたかのように戯れかけた。犬も大人しく、それでいて子の興味を逸らさぬかのように戯れ返す。それを見て、母親のうねはたいそう喜んだ。

「子守に飼いましょう」

 と家の中に入れることを許したのである。とは言っても犬は家を歩き回ることもせず、すこし暖かな炊屋かしきやの隅でうずくまった。

「まあ、なんてしつけの良い」

 とうねは感心した。役に立たぬという萬の評と相違して犬はあっという間に妻の心を捉えたようである。だが子供が炊屋にいるのは危ない。万一のことがあってはならぬと妻が心配するので苦笑いと共に萬は犬を引き連れて子を背負ってあたりを散策している。

 今日こそ温かい日和ひよりではあるが季節は秋を過ぎつつあり、冬がすぐそこまでやってきている。空の色は薄い青で、薄絹うすぎぬのような雲が掛かっている。その空を一羽の鷹が舞っている。

 ふと、飛丸かもしれぬ、と思って萬は目を凝らした。

 だが、萬が今、居を構えている宮のある大井と、育った有真香はよほど遠い。羽のある鷹であれば一飛びと言えぬこともないが、かといって、鷹には鷹なりの縄張りというものがある。有真香からわざわざこの地までやってくるとも思えなかった。やがて鷹はどこかで獲物を見つけたか、さっと降下をするとそのまま姿が見えなくなった。

 鷹の影に幼い頃の自分を思い出し、萬はじっと鳥の消えたあたりを見つめたまま立ち止まっていた。犬は不思議そうな表情で萬を見上げている。

 背中の子はその犬に向かって盛んに手を振っている。


 それから数日の後のことである。

 宮から帰るすがら、守屋は一言も口を利かず、ひたすら仏頂面ぶっちょうづらであった。何かよほど気に食わないことがあったに違いない。普段の守屋は仕事を終えると、

「待たせたの」

 と、にこにこして気軽に声をかけてくるような男であり、帰る途中も、

「さて、今日は何が飯に出るか、楽しみじゃの」

 などと子供のようなことを言う男である。それが今夕こんせきに限っては、口を一文字に結んだまま一言もしゃべらぬ。そんな主を見るのは蘇我の邸から戻るとき以来の事であった。

 家に戻ると守屋は、

「飯はいらぬ。族と臣の主だった者たちを集めよ」

 と命じて部屋に立て籠った。やがて皆が集まると、守屋は一族の者を前にして、大臣が帝の裁可を得て仏を公然と拝む事を得た、と苦々し気に語った。

「お止めしたが、綸言りんげん汗のごとし、ということよ」

 一度、発した帝の言葉は臣下が簡単に変えられるものではない、という意味である。守屋は武骨な男であるがなかなかの教養を備えており、時折こういう言葉を使い周囲を煙に巻く。

「では、帝も・・・仏の道を?」

 棟高の発した言葉に皆、ざわついた。もしそんなことになれば、仏の道を敵対視している物部は帝にたて突く一族という絵図になりかねない。

「いや、大臣一族だけの話だとしておられるが・・・いずれどうなるかわからぬ」

 と守屋は答え、

「なんとかせねばならぬ、と考えている。だが、軽挙妄動けいきょもうどうは慎め。わしに任せよ」

 と釘を刺すと、翌日からすぐに蘇我に対抗する仲間を集め始めた。

 守屋の声に中臣勝海のみならず、何人かの有力氏族が賛同し、たびたび会合を開く場に、萬も連れまわされている。

 実際のところ、この国は元からの神を持っており、異国の神を持ち込むなど怪しからぬと言えば頷く者は多い。ただ帝が蘇我に仏法を拝む事を許しておられるのを憚って、いざ仲間に誘おうとするとどちらつかずの態度を取る者も少なくない。そういう者たちを説得し、味方につける為に守屋は労を惜しまなかった。

 一方で蘇我は年が明けてすぐ、橿原かしはらの大野に舎利しゃりを納める塔を建てると宣言した。

「舎利とは何ぞ」

 と守屋は手を回して調べたが、周りに仏の道に明るい者がいないので容易に分からない。だが遂に帝御自身から、

「何やら、ブッダという人の骨で、何よりも固く、決して砕けないもの」

 らしいという話を聞いたと言って、大いに笑った。

「人の骨を祀るとは不浄ふじょうきわみじゃ。ブッダとは何者じゃか知らぬが、所詮は骨」

 そのブッダという名前に萬は心当たりがある。厩戸王が確か、仏の像の事を語る時その名を出した記憶があり、短いその名だけは記憶に留まっていたのである。

「萬よ、よく考えよ。西国、唐、韓にはそれこそ何千、何百の寺とかいうものがあり、そこにいちいち舎利とやらを祀っているそうだ。だが人の骨がそんなにあるわけがなかろう。それに固く砕けぬ筈の物を何千もの寺に配るというのはいかにしてできるものか。必ずやまがい物に相違ない」

 と、主は、そこは妙に合理的に断言した。だが主が仏を罵るほど、萬はあの時蘇我の庭で見た木像の優し気な微笑を思い出し居心地が悪くなるのである。

そんな萬の気持ちを知ってか知らずか、

「萬、その塔なるものがいかなるものか、見てこい」

 と守屋に命じられ、二月の晴れた寒い日の中、萬は笠をかぶると、一人めだたない姿で橿原の地へとおもむいた。


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