第6話
そのできごとがあってから、更に五年が経った。多少のいざこざはあったものの、大事に至ることはなかった氏族間の対立は、しかし、その頃急速に激化していた。
原因となったのは海外からの贈り物である。
一体は石像、一体は木の像である。この像をどう扱うべきかということをめぐって臣下の間で激しい議論が湧きあがったのである。蘇我馬子は百済からの贈り物を受けると同時に国と帝は仏の道に帰依し、仏像を拝むべきだと主張した。その上で帝から許されて私的にその仏像を秘匿したのである。
「海の向こうでは・・・
しかしその主張に反対する者は少なからずいた。端的に言えば、強弱の差こそあれ蘇我以外の族は、内心反対だったと言って差し支えない。たとえ、唐の国であろうとなんであろうと、よほどのことがない限り、いきなり他国の神を信じるべきだと言われてそれに
そして論議は、それらの仏像が百済から贈られたものだということで更に複雑なものと化していた。朝鮮半島には少し前まで、
しかし半島には他に幾つかの国があり、国力の乏しい任那の領は常に争いの標的となった。
そして新羅の手に一旦おちたその任那を、こともあろうか、日本が
新羅、高麗に取り囲まれ半島で劣勢にあった百済は少しでも領地を回復したいと考えていた。その目標となったのは新羅の国威がまだ浸透していない任那の地であったのである。農業・漁業が主な産業である時代では領地こそは国力そのものである。任那はすでに新羅に占領された地であり、百済は主権を失った日本に義理を立てる必要はないと考えたのかもしれぬ。
だが、帝はそう考えなかった。帝は百済から
彼らが日羅を殺したのは、帝が彼を通じて再度百済と和平を結び、ひいては任那の復興を企図することを潰すためである。守屋はそれこそが百済王の意思であると主張した。
「百済の国王は信用ならぬ。任那の地を巡っては泥棒のような真似を企んでおるばかりではなく本来帝の臣である日羅をあろうことか亡き者にした。あやつらは仏教を帝に奉じ、それを以て我が国を分断し力を削ごうとしているのだ。国を日羅と同じ目に遭わせる気か」
と守屋は他国の王をこきおろした。そして返す刀で
「我が国には我が国の古くからの神がおる。それを
はかりごと》、決して許してはならぬ」
「何故に異国の神を祀ろうなどと蘇我の臣は考えるのであろうか」
と考えれば、やはり守屋の言った通り
「それは主の族が蘇我の族より神に近い生まれであるからだ。蘇我はそれを
という事であろう。では、
「なぜに帝は仏の道を禁じないのか」
という問いには、
「それは蘇我の者どもに
という答えしか思いつかない。
そもそも仏の道とは何なのか、なぜそれが人を
肝心の帝自身は仏教を禁じてもいないが、
恐らくは
「困っておられるのだろう」
と萬は考えている。
帝の思いは仏教を信じるか否かよりも任那の復興にある。先帝である父の代で失われた韓の地、任那の奪回こそが帝の関心事であられる。しかし内政の蘇我、軍事の物部、どちらを欠いても国を纏め、任那を復興させることができぬ。
どうやら帝はたびたび守屋に、
「そちが軍を率いて任那を奪回できぬものか」
と問い掛けているが、守屋は、
「任那を取り戻すには帝の血を引いたお方が軍を率いて攻め込むことが
と取り合わないらしい。そして陰では、
「背後で帝を使嗾しておるのは蘇我に違いあるまい。あやつはわしが海を渡っているうちに国を思うがままにしようと画策しているのよ」
と非難している。守屋の父である尾輿はその前の大連であった大伴金村を、百済に任那の地を売ろうとした、と批判してその位を奪い取ったのだが、その頃から守屋に、
「半島には手をつけるな。あそこに手を付ければ我が族は滅びるぞ」
と教え諭し、守屋は忠実にその教えを守っているのである。しかしそれにしても、
「蘇我は帝に万一の事があれば
などと臣下の筆頭である大連の守屋が帝の
「別のお方とは?」
と尋ねられると、守屋は口を濁し、
「それは・・・今は言えぬ。だが、蘇我はあっと驚くであろうよ」
などと煙にまくのだが、本当にそのような相手がいるのか萬には分からない。
それにしてもそこまで激しい分裂が身の回りで起きているのに、帝がそのどちらを制することもないというのは却って国を危うくすることのように思える。
それと、と萬の思いは主と帝、蘇我と帝のそれぞれの関係にも及ぶ。
今の帝の后は蘇我の血を引く堅塩媛の娘であられる。堅塩媛は先帝、
「蘇我はうまく立ち回っている」
と見える。それに比べて主はなんと不器用であることか・・・。と萬は嘆息した。
とはいうものの主の
ただその直線的な思考とものの言いようが今の世で通用するのか、というと些か心もとない気がした。蘇我のような一癖も、二癖もある立ち居振る舞いの方が有利なのではないか?企みや野心や、いざとなれば戦を辞さない固い意思を、大臣は美しい衣の下に隠し持っているのではなかろうか?
届けられた仏像に関する論争は単純化すれば仏教排斥を主張する守屋と、仏像を祀り帝に帰依を勧める馬子の勢力争いであった。宮の大多数の人々にとって仏教は信仰や心の問題ではなく、政治の問題であったのである。
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