第3話

 今から二十年前の事である。まだ萬は十にも満たぬ子供であった。暮らしていたのは今、萬が立っている茅淳縣、有真香ありまかの地である。

 父も捕鳥部に属していたが、萬が生まれる前に山で死んだらしい。

 らしい、というのはしかばねもでなかったからである。父は鷹を一人で捕らえに行ってそのまま戻ってこなかった。父が鷹を捕らえに行くと言った先は谷深い山間で、その谷に落ちて死んだか、熊や狼に襲われたのだろうと皆は言った。

 母は萬を生んで育ててくれたが、二年前に病で死んだ。萬を生んだのち産褥さんじょくでずっと体を悪くしていたのだが、治らぬまま息を引き取った。だから萬は孤児である。

 孤児であろうとなかろうと、捕鳥部の者たちは子供でも容赦されず働かねばならぬ。とりわけ親を失った子はそれだけ部の者たちに余計な負担を強いるわけだから余計に精を出して働かねばならぬ、と事あるごとに大人たちから言われた。

 だが、その子供たちの中で萬は突出して秀でていた。鷹を恐れず、稲わらを巻いた細い腕に鷹の爪で瘡蓋かさぶたができても萬は平然とした表情で、鷹を意のままに操った。

 普通なら鷹を扱う者も最初は小柄なはやぶさ、次いではいたか、大人になって漸く鷹を扱うことができるようになるものである。しかし、萬は既に鷹を扱っていた。

 鷹の名を飛丸とびまるという。

 飛丸もまた親のない鷹であった。鷹の親もまた狩の最中に事故で死んだのであろう。

 飛丸を飼い始めたのはまだ萬が子供の仕事を言いつけられるべき歳になる半年前の事であった。子供の仕事は鳥の餌を見つけたり大人たちが鷹の訓練をしている時に巣を掃除したりすることである。その仕事を萬は結局することはなかった。


 大人でさえ滅多に入らぬ急峻きゅうしゅんな山の中で鷹の巣を見つけ、毎日その近くに行っては観察していた萬はその日、親が一度も飛び立たず、帰っても来ないことを不審に思いながら巣を見守っていた。

 鷹は谷に突き出すように生えた高い木の上に巣を作っていた。その木の上空から鷹が狙いすましたように巣へと戻る姿を見るのが萬の楽しみであり、そのことを誰にも告げなかった。下手に大人に言えば、その鷹を捕らえぬとも限らぬ。子供に教えたらうっかりと親に告げぬとも限らない。

 だがその親鳥がふっつりと姿を見せぬ。

 それまでは二親とも揃っていたのに、である。昼前から見守っているのだが、もうそろそろ西に日が傾きかけているというのに一度も戻ってこない。

 どうやら親は死んだらしいと見極めをつけると萬は岩山に生えた高い木をよじ登り始めた。落ちれば谷底に転げて死ぬことは明らかである。父の二の舞にならぬとも限らなかった。

 しかし捕鳥部の子たちは幼いころから岩や木に登る術を教えられ、それを遊びにしている。中でもとりわけ敏捷な萬は高い木に登ることなどへっちゃらであった。

 巣には二羽の雛がいた。親とでも思ったか、一羽は青い丸い目をいっぱいに見開いて餌をねだってきた。

 もう一羽は警戒したのか鳴きもせず身を巣の片隅に寄せてじっと萬を見つめていた。

 二羽を一度に飼うのはできぬ、と咄嗟に思った萬は餌をねだって来た雛をつかむと崖の下に投げ落とした。雛は恐ろしさに声も上げられなかったのか無言で落ちて行った。

 その様子をもう一羽の雛は目を見開いてみていた。そして手を伸ばしてきた萬を尚も見つめてきた。

 その眼が兄弟を投げ捨てたことによる恐怖と憎しみなのか、それとも自らを選んだことへの感謝なのか良く分からなかったが、突然雛は不器用に羽搏はばたくと伸ばした萬の指を噛もうとした。だが、それが萬の予想したことであり、首を伸ばしてきた雛の攻撃を避けその隙に逆の手で雛の体を無造作につかむと懐へ放り込んだ。その瞬間なんだか口の中に苦いものが湧き上がって来たが、それが何なのかその時は分からなかった。

 雛は萬の懐で大人しくなりそこに収まったまま助けられた。

 部に戻り、雛を懐から出すと、雛は眩し気に目を閉じてから萬を見つめた。くっきりとした物問いたげな瞳である。それを見て大人たちが寄ってきた。

「どうしたのだ、その雛は」

 尋ねた大人に、

「親を亡くした雛じゃ。俺と同じ身上しんじょうじゃ」

 と答えると、大人たちは苦笑して顔を見合わせた。

 それから二日二晩、一睡も遣らずに萬はその鷹を飼った。芋虫、鼠、小鳥、蛙、ありとあらゆるものを試し、水を飲ませた。

 長は萬が鷹の巣子すこを拾ったと聞いて、一度だけ姿を現し、

「巣子は使えんぞ」

と眉をひそめると、

「あまりものを食わせるな。あと・・・糞は白でなければいかん。病にかかったようならばすぐに捨てろ。他の鷹にやまいが広がるかもしれぬ。部の者に余計な迷惑をかけるな」

 と言った。萬は頷いた。

 雛は最初の内、何も食べることもなく、時折丸いまぶたを開いて萬を見るだけであったが、そのうちなぜか干からびた蛙を一匹だけ食べ、そして水を口にした。

 それが良かったのであろう、雛はやがて食欲を取り戻し、萬に懐いた。萬はその雛に飛丸と名を付けて飼う、と宣言した。

 それを聞いた大人たちは懐疑的であった。飼ってどうするのだ、無駄な口を増やすだけぞ、と唇を曲げた。

 捕鳥部の大人たちは大人の鷹を捕まえそれを訓練して鷹狩に使う。兎を殺し、それを餌に鷹をおとりにかけて捕えるのである。

 鳥は親に飛行と餌取を学ぶ。雛の頃から人に飼われた鷹など使い物にならぬと思われた。長が巣子は使えぬぞ、と言ったのはそういう意味である。

 それでも鷹の雛たちがどうやって親から学習するのか何度も雛の巣立ちを観察したことのある萬はもしかしたら、と考えていた。

 鷹の親たちは、雛が場合によっては死ぬかもしれないほどに厳しい教育をする。非情とさえ思える、その様子を萬はつぶさに見知っている。鷹の雛に比べれば己の境遇などまだましだ、と思うほどである。

 飛丸が飛行を学習するべき時期になると、萬は有無を言わさず飛丸を肩に乗せ、高い木に登り雛を枝に置いた。そして枝の上で飛丸が羽搏はばたくまでいつまでも待った。飛丸は不思議そうな眼で萬を見た。

 萬は飛べぬ。だから、その代わりに鋭い目で飛丸を見続けた。やがて飛丸は肩をいからせるようにして羽搏いた。そして枝から別の枝に飛び移った。何日も同じことをしているうちにやがて飛丸の飛ぶ距離は少しずつ長くなった。時折無様に枝から落ちてしまうこともあった。

 幼い鷹は地面に落ちるとなかなか飛び立てない。萬はそれを拾い上げると容赦なくまた木の高い枝に置いた。次第に飛丸は自由に空を飛ぶようになった。地面に転げ落ちても自力で飛び立てるようになるまではさほど間がなかった。

 次は餌である。或る朝突然、飛丸は餌を与えられなくなった。朝早くから木に登らせ、飛び続けると腹がすく。それでも日の中に餌を与えられることはない。仕方なしに飛丸は自ら餌を求めるようになった。

 最初に捕えたのは鼠であった。何度も失敗し、そのたびに萬は息をとめるように見守り溜息をついたが、ついに餌を仕留めた時には喜びのあまり萬自身が木の枝から転げ落ちそうになった。

 その日は鼠一匹、日が暮れる前に飛丸を腕に乗せ家に帰ると生餌を与えたが、翌日には鼠を三匹、雀を一羽捕えた。その日から萬は与える餌を減らした。鼠一匹、あるいは兎の肉一切れが萬と飛丸の間を保つものである。

 やがて飛丸はより大きな獲物を捕らえることができるようになった。

 それからが本当の勝負であった。

或る日、小柄な雉を捕えた飛丸が地面でその羽をむしっているところへ奔ると、萬は乱暴に雉を掴み飛丸から奪った。飛丸は主人の唐突な行動に戸惑ったが、野生の本能を剥き出しにして威嚇いかくしてきた。萬は相手から目を逸らすことなく飛丸の前に鼠を投げた。

 飛丸は投げ出された鼠と主人を交互に睨んでいたが、やがて主人の意を察したのか鼠をくわえると木の上へと飛び立った。その時萬と飛丸の間にちぎりが成立したのである。

 大人たちは萬の鷹が生きていて、飛ぶことを覚えたことを奇異の目で見ていたが、やがて萬が自分の飼っている鷹で狩りをすると宣言すると高笑いに笑った。

「子供と小鷹に何が出来よう?」

 だがそう馬鹿にしていた大人たちは、萬と鷹がする狩りを見て驚いた。

 飛丸は俊敏な鷹であった。狙う獲物を外すことは稀である。そして自分より体の大きい雉や山鳥を難なく捕えた。笑っていた大人たちは、嘲笑ちょうしょうの的にしていた若鷹が見事な殺戮者であることを認めざるを得なかった。

 飛丸は獲物を一蹴り、一突きで致命的な傷を負わせたのである。それだけではなかった。萬自身が優れた弓の技術を持っていた。鷹の爪で傷ついた萬の腕は、万一飛丸が獲物を逃しても一本の矢で確実に獲物をしとめる事ができた。

「どこで弓を習った」

 部の大人たちから聞かれた萬は戸惑った。習ったわけではない。戦を司る大人たちが使い物にならぬと捨てた弓や矢を密かに集め、修理して遊んでいただけである。

ざえかのう?」

 萬の答えを聞くと大人たちは首を捻った。

「だが捕鳥部は鷹を育てるのが仕事じゃ。弓は仕事ではない。お主はまだ一頭しか育てておらぬ。励めよ」

 そう言って視線を逸らした。よその部の才を磨くことは禁忌きんきとまではいわないが余計なことと憚られていたのである。だが、飛丸を得たことで子供仕事をしないうちに萬は自然と鷹飼として受け入れられた。


 萬と飛丸が主人である物部守屋と初めて狩に出たのは十五の歳である。前日、有真香を立ち、長に連れられて摂津へと向かった萬は初めての旅に心弾んだ。十名ほどの男たちは三頭の鷹を引き連れて曠野を進んだ。朝立った一行は夕方に摂津せっつの邸に辿り着いた。

 飯を食い、横になっても萬は暫く寝付けなかった。興奮と大人たちの鼾のせいである。それでも旅の疲れのせいでやがて泥のように眠り込んだ。

 翌朝、もやもまだ晴れやらぬ野で、初めて出会った主人は萬を見ると、小さく首を縦に振った。子供か、と軽んじたようにも見えたが、よし、と認めてくれたようなしぐさにも見えた。

 主の体は図抜けて大きく、目は鋭い。髭は短い首を覆い隠し、背中は厚く、子供の目にはとても尋常の人とは思えなかった。それだけで萬は恐れ畏まった。

 主は萬が腰に弓と箭を携えているのを見て不審げな表情をしたが、何も言わなかった。

 やがて日が差すと、二頭の鷹が一斉に放たれた。そのうちの一頭は飛丸である。

最初に獲物を見つけたのは飛丸であった。滑るように空を飛んでいた飛丸は目を瞠るような速さで地面すれすれに舞い降り、羽を大きく揺らした。その爪にがっしりと咥えられた兎は萬が駆け寄った時には既に目の光を失っていた。それを主のもとへと届けると、主はにやりと笑って、

「良くやった。良い鷹だの」

 と萬を誉めた。尋常でない人に褒められたことが萬には素直にうれしかった。主の目の奥に温かいものを見たような気がした。

 その時別の鷹が獲物を見つけ、上空から矢のように降下してきた。その先にいるのは雄の雉である。鷹に劣らず大きな体格の雉は一声ケンと啼くと、鷹に向かって蹴爪けづめを立てた。驚いたようにその鷹は羽搏き、舞い上がった。

「逃げるぞ」

 と誰かが叫んだその時には、萬は既に腰から箭を引き抜き、弓を引き絞っていた。

 放たれた箭は正確に逃げていく雉の背中を貫いた。どさりと雉が倒れる音と共に、

「おおっ」

 と称賛の声が上がった。雉の倒れた所までは大人でも弓で届くか届かぬかの距離である。

「ほう」

 と守屋は弓を放ったままの姿で立つ萬に目を遣った。

「お前、名はなんという」

「萬と申します」

 萬は弓を収めると跪いた。

「萬か。良い名じゃ。覚えておこう。鷹の飼い様も弓の腕もなかなか見事じゃ」

そういうと守屋は満足げに何度も頷いた。


 それからというもの、守屋の狩りには萬が必ず伴うことになった。行く先は主に摂津の野である。鷹を使うこともあったが、使わぬこともしばしばあった。

 鷹を使わぬ狩は一種の軍事訓練である。その時、萬は弓を持たされた。その弓から放たれる箭は悉く獲物に突き刺さった。

「良い腕だ」

 守屋は目を細めた。

「お前のような腕を持つものは、軍人いくさびとの中にも滅多におらぬ」

 主の率直な誉め言葉が萬には嬉しかった。捕鳥部の中で萬を誉める者は誰もいない。巣子から一人前の鷹を育てた事でさえ、誰も誉めてはくれなかった。弓に至っては

「吾らの技ではない」

 とまで言われたのである。だがそれを主が褒めてくれた。主が褒めてくれさえすれば、残りの者の無関心や陰口など気にすることはないように思えた。

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