第2話

 捕鳥部は本来、せいではない。職名である。鳥養部、鳥取部、鳥甘部などとも記される。

 鳥を捕獲し飼う者たちの職であり、彼らによって捕らわれた鳥たちはその大きさにより様々な用途に供された。狩に使われるもの、食に供されるもの、中にはかごの中に入れ女子供のあそびに供されるものもある。従って馬養、牛養、猪養や犬養に比べ鳥養の仕事は多様であり細分化されている。

 その由来は遥か昔に遡り、垂仁天皇すいじんてんのうと呼ばれる帝がおられた時にまで至る。

 帝の長子は、伯父、狭穂彦さほびこの起こした叛乱はんらんに際し兄の許へ走った母の子として叛乱軍の中で誕生した。叛乱は鎮圧され、伯父も母も火の中で死んだが、生まれた子は助けられた。その子の名を誉津別命ほむつわけのみことという。

 誉津別命は乱に加担した母を持ってなお帝に愛された。だが、よわいを重ねても一言も喋らなかった。叛乱軍の中で生まれ、伯父と父の戦で母を失い、その上実の母が叛乱にくみしていたという事実は、いかに父帝に愛されたとはいえ子供にとってよほどつら境涯きょうがいであったのだろう。

 その人がひげの生える頃になって、大空を翔けていく鳴鵠くぐいを見て生まれて初めて声を上げた。それを見て大いに喜んだ父帝がその鳥を追わせた。


 その責を負ったのが捕鳥部の祖である。

 鳴鵠とは鶴とも白鳥ともいわれる。いずれの鳥にせよ、ひと日に百里を翔ける。とても人が追えるものではない。だがその祖は執念深く鳥を追い、遂にこしの国で捕らえたという功績を持っている。

 はてさて、鳴鵠が果たして皇子が見た鳴鵠であったのかどうかは疑わしい。鳴鵠にしるしがついているわけでもない。とはいえ、標がついていないからこそ皇子の見た鳴鵠ではないと断言することもできない。

 それに・・・。

 鳴鵠を生きたまま捕らえること自体が難しいではないか。

 祖は意気揚々と捕らえた鳥を持ち帰り褒美を得、鳥を飼う者たちを統べるという役職も得たのである。。

 だが、その名誉ある昔話の割に捕鳥部に属する者たちは恵まれない生活を送っている。いやしい民としての印に目の周りにげいという刺青いれずみをさせられていた時期もある。今ではさすがにそのようなこともないが、決して恵まれた生活を送っているわけではない。

 確かに鳴鵠を捕らえたその人が男たちの実の先祖というわけでなく、その部には多くの土地も貯えも持たない者が編入させられたのだから、扱いが雑になったのは仕方なかろう。本来なら帝の下にあるべき部が物部もののべうがらの下にあるというのも部の扱いの粗雑に由来するのかもしれぬ。

 そういうわけで捕鳥部の男たちの殆どは、貧しい生活の中で野鳥を捕え、鴨の羽を切って飼い、気の利いた者たちは鷹を飼って狩に同行するのである。

 萬は鷹を飼う男でった。

 鷹を狩に使うには特別な技術がいる。だから他の鳥養たちに比べて誇りを持っている。本来なら別けて鷹甘たかがいと呼ばれてしかるべきであるが、何事にも鷹揚おうようというか、雑というのか、主人は細かい区別などせずにそうした男たちを全て捕鳥部として仕切った。

 萬はそうした捕鳥部の一員として狩に同行する役を担っていたのだが、鷹遣いが上手であるばかりでなく弓矢を遣わせると並ぶ者のない名手であった。そのために主に目をかけられ、賤しい身分から破格にも資人つかいびとにまで取り立てられた。

 それ故、出自を表わす捕鳥部という標を姓として負わせられていても、萬は主を崇拝していた。


 だが、その主は殺された。

 その話をもたらしたのは、主の領の一つである阿都あとの地から命からがら逃げてきた二人の男である。

 その時萬は、主から別領である難波なにわで邸を守る役目を仰せつかり、百を超える部下を率いて守っていた。

 精鋭ぞろいである。十倍の軍が押しかけてきても屈することはない。火を射かけられても良いように家を濡らし同じように水に濡らした稲城いなきを築いて、萬はいざという時を待ち構えていたが、そこにやって来たのはまさかの悲報であった。

「なんと、まことか?」

 絶句したのは、主人が軍に負けるなどとは露ほどにも思っていなかったためである。

 その主人の名は物部守屋もののべのもりやという。

 大連おおむらじという、国を宰領さいりょうする役職にある貴人である。萬が初めて拝顔した時、目の前に見たのは、赤ら顔で髭面の大男であった。

 その髭に、近頃白いものが混じり始めていたのは事実であるが、だからと言って萬は主人の挙措きょそに老いを感じたことはない。年を取ってなお背が高く筋骨隆々とした主はかつて軍に敗れたことはない。いや主に戦いを挑んでくるものさえいない。

 その主が敗れた。敗れて死んだ。

 不思議と涙がこみ上げてくることはなかった。主が負けるなどとは思っていなかったのだが、もし死ぬとしたらいつかは主がそのような死に方をするのではないかとどこかで思っていたような気もした。とにかく、床の上で静かに息を引き取るというのが似合わない主であった。

 暫く瞑目めいもくした後、

「どのようにして亡くなられた?」

 萬が尋ねると、

「大連さまは、相手の軍を迎えると木にお上りになられ、そこから次々と弓を射ておられました。鬼神の如く、というのがまさに・・・」

 相手の軍と言葉をぼかしたのは、その相手が后の軍であるからである。帝と言わず后というのは、先の帝が薨去こうきょされた後、未だ新しい帝が立っていないからである。

「しかし、向こうの者の一人が兵を防いでいたこちら側の稲城に夜のうちに密かに登っておったようで・・・一箭ひとやで・・・」

 もう一人の男が声を震わせた。敵の放った箭は主人のくびを射抜き、木からどう、と落ちた主人は男が駆け寄った時には既に息が無かったという。

「悪い癖じゃ・・・。箭面やおもてに立とうと成されて」

 主人が戦いとなると、一番先に出て戦おうとする癖を萬は懸念して、以前

「なされますな」

 と進言したのである。

「この萬がその代わりを務めましょう」

 その言葉を聞いた時、主人は萬をしばらくじっと見つめた後、ははは、と大きな声を上げ大きく頷いた。

 爾来じらい、何か揉め事があるたびに萬が矢面に出て相手を蹴散らしたのだが、その萬が不在であったために昔の癖がでたのであろう。

「しかし、三日前の報せでは相手の軍は惰弱だじゃくで、大連さまの意のままに蹴散らされておるとのことだったが」

 物部氏は古来帝の下に在って軍を率いる氏族である。后の周りの全ての氏族を敵に回しても、それを圧倒するだけの力を有していた。

 それに昨日の知らせでは主は

「萬よ、いずれ大臣の軍は退くであろう。その時はお前を呼ぶ。宮への進軍には同行せよ。弱兵を蹴散らしてやろうぞ」

 と伝えてきたではなかったか。

「それが・・・」

 最初に話した男が、目を上げた。

「戦いの前日の事でございます。相手の軍議で・・・」

 相手の軍議の中身を知っているのは主人がそこに自分の味方を密かに潜り込ませていたからである。

「このままでは后の軍が滅ぼされてしまう。一旦、軍を引こうという話がございましたそうで。それを主張されたのは泊瀬部皇子はつせべのみこ竹田皇子たけだのみこ春日皇子かすがのみこ、そして蘇我そが大臣おおおみ・・・」

「ふん」

 萬は鼻を鳴らした。

 蘇我の大臣というのは馬子うまこという名であり、主人の政敵である。

 この戦いを始めたのもその蘇我馬子である。

 その男が畏れ多くも后から預かった軍を引こうなどと・・・。蘇我馬子が、主人に戦で敵う筈もない。戦いに敗れるくらいなら逃げようというのは大臣が考えそうなことである。

「ですが、それに強硬に反対なされたのが厩戸王うまやとのみこというお方とのことでございます」

 男の言葉に、萬ははっと目を上げた。

「厩戸王?」

 その名を聞いて萬の脳裏に浮かんだのは一人のまだあどけない少年の姿である。

「さようでございます。その厩戸王が・・・」

 萬は言葉を続けようとした男の言葉を遮っ《さえぎ》った。

「厩戸王はまだ子供ではないか。それにあのお方は仏の道を説いておられるではないか?」

 は?と男は萬を仰ぎ見た。

「さようでございますか?」

 男は厩戸王のことを詳しく知らぬ。無理もない。厩戸王はその時まだ成人にも達していない皇子である。

 苛立たし気に手を振ると、萬は空を睨んだ。

「仏の道とは殺生さっしょうを禁じているものではないか・・・?なぜその道を信じる者が人を殺すのを許すのだ?」

 誰に向かって発したとも分からぬ萬の問いかけに、二人の男は目を見合わせた。

「さぁ・・・」

 萬の問う意味が男たちには良く分からない。そもそも彼らは仏の道のことなど良く知らないのである。

「ならば、帝の軍は大連やそれに連なる者は人とあらず、生き物でさえもなく、魔の者とみておられるのか」

 萬の唸るような声に二人の男は暫く惑って黙したが、しかしそれどころではありませぬ、と話を戻した。

「とにもかくにも、この邸にもいずれ大臣の率いる兵がやってまいりましょう。大連のお子さまたちも皆殺されました。味方の兵は皆、素性を隠して逃げ惑っております。ここの兵も退かせ、いち早くお逃げなさるがよい」

 二人の忠告に、暫く考えると萬は頷いた。主人の大連が討たれた以上、この軍に勝ち目はない。一族の者たちはことごとく殺されたのだ。

 族の復興もまずないであろう。大連は一族の誰をも皆手元に引き寄せ、自分の意向に歯向かうことを許さなかった。つまり后の側に立つ一族の者は誰一人としていない。それが祟ったのだ。大伴おおともが大連であった金村かなむらの死後も細々と族の脈を繋いでいるのとそこが違う。

 萬は主人に忠誠を誓っていたが、その主人はもういない。お子達が皆殺されたなら、忠誠を新たに立てるべきものもまずいない。そういう事態になると心は自然に決まる。

 邸を守っていた兵たちに暇を出し、それぞれ領に逃げ帰るもよし、別のところへ行くもよし、何なら相手の軍に帰順するもよし、と解き放つと萬は邸に火を放った後、馬を一人駆って茅淳縣ちぬのあがたへと向かった。そこは大連が先代の帝に賜った地であり、萬が育った地であり、萬の妻の居る土地でもあった。

 早駆けをした馬はさすがに疲れ切っていた。

 旧知の馬屋うまやの主の許へと赴き、願って飼葉かいばを馬に食わせている間、萬は見知った土地の丘の上に昇り、四方を見渡した。以前とどこも変わることはない。海に続くなだらかな丘の様子も、森の様子も、いや木々の一本一本に至るまで子供のころに見たままである。だが、自分は年を取った。そして、主は死んだ。

「さても、命ははかないもの」

 と萬は普段なら滅多に持つことのない感傷に浸っている。あの、殺してもなかなか死にそうになかった主人が、たかだか一本の箭にうたれ命を落とすとは。

 いつの間にか、萬の心の中は主人に出会った頃の記憶へと飛んでいる。

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