第10話 おもいでは美辞麗句

「――それで、あんたにプロポーズした」


 レイノルドから過去を聞かされたマリアは戸惑っていた。


 ハートの木に向かって、恋が叶うように祈った記憶はある。だが、となりにいたのがアルフレッドではなく、レイノルドだったということは今まで忘れていた。


(わたくしを、ずっと、想っていた?)


 レイノルドは、そんな素振り少しも見せなかった。マリアが卒業パーティーで婚約破棄されて、裏庭の奥の奥で大泣きするまで、会話の一つもしなかったのだ。


 彼にとって、あの日、マリアに出会えたのは最後の幸運だったのかもしれない。

 タイミング良くあの場に現われるなんて奇跡、そうそう起こるものではない。


 彼はギャンブル場に出入りするような暮らしをしていたから、あそこで出会わなければ、マリアが生きていく道とはまじわらない人生を過ごしただろう。


(――だからレイノルド様は、こんなにも懸命にわたくしを口説いてくるのね)


「事情を話してくださって、ありがとうございます。貴方が、わたくしを憐れに思って求婚されたのではなくて、ほっとしましたわ」

「では、俺と――」


 婚約してくれるか。その声に被るように、張りのある男性の声がした。


「――レイノルド?」


 声の方を見ると、アルフレッドがプリシラと腕を組んで立っていた。仲むつまじく寄り添った二人は、聖地に似つかわしい恋人だった。

 マリアは、ぱっと後ろを向いて被ったスカーフを握りしめた。


(どうして、アルフレッド様までここに!?)


「お前がこんなところにいるなんて驚きだ。しかもご令嬢もいっしょとなれば、喜ばしいことだ。よければご挨拶したい。ご令嬢、私はレイノルドの兄のアルフレッドです。この国の貴族であればご存じかとは思いますが……」


 足音が近づいてくる。マリアが身をかたくしていると、レイノルドは腕をかざしてかばった。


「挨拶は必要ない」

「必要ないとはなぜだ? 私はお前の兄だぞ。第二王子と結婚するかもしれない方であれば、見知っておくのが当然だろう。プリシラのことも紹介したい。彼女は王太子妃になるので、お前の妃とも仲良くしてもらえたら――」

「兄貴。あんた、本当にその女でいいのか」


 レイノルドが質問すると、アルフレッドの足が止まった。


「その女、とはプリシラのことか?」

「他に誰がいる」

「プリシラをこの女呼ばわりとは……! 彼女は、もうじき開かれる婚約式典で、私の正式な妃候補となるのだぞ。いくら双子の弟でも許しがたい。不敬だ、謝れ!」

「あんた、俺も王子だってこと忘れてるだろ。どっちが不敬だ」


 しょせん、第一王子の恋人であるプリシラは、第二王子が不敬を問われるような身分にない。だが、頭に血が上ったアルフレッドには言っても分からないようだ。

 アルフレッドは、帯剣に手をかけて、ツバをまき散らしながら怒鳴る。

 

「第二王子の身でありながら城を抜け出し、民草とばかり連れだっているお前が、私に口答えするんじゃない! 私の行いが間違っていたことなど、過去に一度もない。私が不敬と言ったら不敬なのだ。謝らなければ斬る! いいか、本気だぞ!!」


 いきどおる兄を見て、レイノルドはうんざりと肩をすくめた。


「…………もう、百年の恋も冷めただろ。俺にしとけ」

「お言葉ですが、レイノルド様。わたくしは、そちらへの想いは、とっくに冷め切っておりましてよ」


 マリアが振り返ると、剣のつかを握っていたアルフレッドの表情が引きつった。


「ま、マリアヴェーラ……」

「卒業パーティー以来ですわね、アルフレッド王子殿下。お元気そうで何よりですわ。プリシラ様ともいっそう打ち解けていらっしゃるご様子で安心いたしました」


 微笑みかけると、プリシラはアルフレッドの腕にしがみついた。まるでマリアが大剣を振り回して脅しているかのようだ。

 高嶺の花扱いには慣れたものだが、そんなに怯えられたら傷ついてしまう。


 傷つくと言いながら、冷たく笑えるのがマリアの『高嶺の花』たる由縁だが。


「そんなに怯えなくとも、何も致しませんことよ。わたくしはもう用事は終えましたもの。ここは第一王子殿下と未来のお妃様にお譲り申し上げますわ」


 せっつくようにレイノルドの腕を引いて、馬車を待たせた広場に向かう。すれ違いざま、アルフレッドがたまらずといった顔で話しかけてきた。


「私に婚約破棄されたから弟に乗り換えるとは、上手くやったものだな。やはり私の見立ては正しかった。君と結婚することにならなくて本当によかった!」

「奇遇ですわね。わたくしも、まったく同じことを考えておりました」


 負け犬の遠吠えではない。マリアは、アルフレッドの妃にならないでよかったと、心の底から思っていた。


(この愚かな人のせいで、国が転機を迎えようとしているなんて、嘆かわしいわ)


 質素な馬車にのりこんでスカーフを外し、握りしめて窓の外を見る。

 穏やかな陽気に包まれた平和な国は、魔法が解禁されたらどんな風になってしまうのだろう。


「――レイノルド様。アルフレッド様とプリシラ嬢の婚約式典に、第二王子として招待されておいでですわね?」

「当然。国王も王妃も宰相も、この国で重要な人間はみんな出席する。あんたの父親であるジステッド公爵も来るはずだ。それがどうした?」

「わたくしも同席してよろしいかしら。第二王子から求婚を受けている者として、見劣りしない自信はありますわ」


 覚悟は決まった。高嶺の花としての人生に、ここで終止符を打とう。派手に咲いた大輪は見事に散るのが相場である。

 大きな花びらがヒラヒラと落ちていくように、マリアヴェーラ・ジステッドという公爵令嬢も散るときが来たのだ。


 凜とした顔つきを見せられたレイノルドは、喉をごくりと鳴らした。


「兄貴のために、スート商会の悪事を暴くつもりか?」

「アルフレッド様のため? まさか!」


 マリアは高らかに笑い出した。笑いすぎて、レイノルドが心配するほどに笑った。


「大丈夫か」

「ええ、もちろん。でも、これだけは覚えておいてくださいませ。わたくしは、わたくしが幸せになるために行動する。それだけですわ」

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