第5話 あこがれの王子論議
「誰かが困っていたら迷わずに声をかける……さりげなくエスコートしてくれる……賞賛されなくても気分を悪くしない……」
朝食を取り終えたマリアは、書斎の書き物机にノートを広げて、理想の恋人の条件を書き連ねていた。自分がほんとうに望む相手を、自ら知るために。
「金髪で……目鼻立ちがはっきりしていて……感情豊かで……はきはきとしゃべって……身長はわたくしより十五センチ高い……。だめだわ。これではまるで、アルフレッド様よ」
薔薇庭園の一件で、アルフレッドへの未練をたってから七日が経った。
初めのうちは、心にぽっかりと大穴が空いたような心地でいたが、今では吹きすさぶ風さえ爽快に感じられる。
これまで味わったことのない自由をマリアは手に入れたのだ。
しがらみから放たれて、一番に思ったのは『恋がしたい』だった。
マリアは、アルフレッドのため、第一王子に相応しい婚約者になるため、つとめて完璧な公爵令嬢を目指してきた。
周囲はみんな婚約者が誰か知っていたので、わざわざ「どんなタイプが好き?」なんて話題を出なかったし、マリア自身も考えてこなかった。
今さら自分の好みなんか分からない。
だけど、恋をしたい気持ちだけは、マリアの胸の大事なところでキラキラと輝いている。それを無視なんてできない。
マリアは、まず自分の理想を書き出してみることにした。それをふまえて、どこに行けば出会えそうか、傾向と対策を練るつもりでいた。
狩猟が得意そうな男性だったら山へ行くべきだし、花に詳しい男性だったら田舎まで足を伸ばしてみる必要がある。
書き出せた好みの男性像は、そっくりそのままアルフレッドだった。
だが、マリアの理想と第一王子は似て非なるものだ。
困っている人を見たら声を掛けるのは、向こう見ずなだけ。第一王子の彼が解決しなくても、従者が何とかしてくれると知っているからだ。
女性をすぐにエスコートするのは、家庭教師の指導のたまもの。その場によって臨機応変に対応できないので、とにかく腕を出せと体に叩き込まれている。
賞賛されなくても気にしないのは、周りの声を聞いていないからだ。自分を心が広くて賢い王子だと過大評価しているので、他人が何を思っていようがビクともしないのである。
金髪と、顔立ちと、喜怒哀楽が明瞭なところと、身長は……。
マリアの理想とマッチングしているというよりは、マリアが他の男性をよく知らないから他のバリエーションを書けないだけだ。
「このわたくしが、このくらいで諦めるものですか! わたくしにだって、自分なりの好きなタイプはいるはずよ!」
アルフレッド風で満たされたページを破り捨てて、マリアは真っ白な紙面に向き合った。
「理想の人の髪の色は……そうね、銀髪というのも素敵だわ。目鼻立ちは……はっきりしているよりは、涼やかな人がいいかしら……。はきはきしゃべられると、長時間きいているのが辛くなるから、声は低めで……。でも、わたくしの話も同じくらい聞いてくださる方がいいわ……」
純粋な自分の好みを探していくのは、根気と時間のいる作業だった。
何度もペンをインクに浸して、先が乾かないように気をつける。
「……わたくしは背が高いから、それより高いとエスコートしていただくのが楽なのよね……。感情豊かでも、思うままに表に出していたら単なるお馬鹿さんだわ……。秘めたる気持ちがある方が大人びて魅力的よ。そう、賞賛をもらってもおごることなく、正しく自分の価値を理解している人こそ賢いわ! あとは、子どもには特別やさしいとか、友好的に人と接するとか、そういうギャップがあれば、なおよし!」
どんどんとイメージが湧いてきて、昼までには『わたしの理想の恋人』が埋まった。頭から読み返しながら、まだ見ぬ相手を想像する。
(銀髪で、涼やかな顔立ちで、低い声で落ち着いた話し方をして、わたくしの話をよく聞いてくれて……)
ふわふわした理想が像を結んでいく。理想の人は、もったいぶって背を向けているけれど、手が届かない相手ではなさそうだ。
(背はわたくしより十五センチくらい高くて、自分の感情に正直すぎない性格で、周りの評価に左右されない自分を持っている人……。あら?)
何だか、身近にいる男性に似ているような。
マリアがそう思った瞬間、理想の人は、暗めの銀髪をなびかせて振り向いた。
ようやく見えた顔だちに、マリアはびっくりする。
「レイノルド王子殿下!?」
信じられなくて、マリアはバタンとノートを閉じた。
顔がカーッと赤くなるのを感じる。
「こっ、こんなの全くの偶然だわ。だって、わたくし、あの方にはまったく、これっぽっちも、ときめかなかったもの! それに、子どもに優しいかどうかは分からないし、友好的に周りと接している場面も見たことがないわ!」
「大声を出してどうしたの、マリアヴェーラ。部屋の外にまで響いていましたよ」
書斎の扉を開けて、デイドレス姿の母が入ってきた。
「お母様」
マリアの母は、上流階級の夫人にしては穏やかな性格の人だ。
父がマリアを立派な公爵令嬢にしようと熱心だった一方で、母は教育はほどほどにして、マリアの心が安まるように刺繍を教えたりや散歩に連れ出してくれたりした。
その優しさは、マリアの心の支えにもなっている。
「申し訳ありません。みっともない姿をお見せして……」
「かまいませんよ。あなたが楽しそうで、母はとても安心しました。ひどく落ち込んでいるのを心配していたのです。他の縁談が持ち上がっても、今は傷に塩を塗り込むようなものと思って、別のお話を用意したのですよ」
「別のお話、というと?」
「修道院に入ってはどうかと思って」
母は、海のそばにある修道院への推薦状を見せてくれた。
公爵家が懇意にしている司教に書いてもらったものだ。
「望まぬ縁談を強いられた令嬢には、修道院に入って結婚から逃れる道もあります。世俗をいっさい絶った場所で、つつましやかに生きられる方が、好きでもない相手と一緒になるより幸せですからね。入るには多額の喜捨が必要ですけれど、愛する娘のためですもの。母が都合しますわ。レイノルド様からの求婚が受け入れられないならば言ってちょうだい。すぐに支度を調えますからね」
母の提案はあくまでマリアの意思を尊重したものだった。
もしも話が持ち込まれたのが、アルフレッドに婚約破棄を言い渡されてすぐだったら。マリアは、泣きながら飛びついていただろう。
だが、今は――。
マリアは、閉じたノートを胸に抱いて、レイノルドの姿を思い浮かべる。
「お母様、笑わないで聞いてくださいませ。今さらかもしれませんが、わたくし、恋がしたいのです……」
自由意志で恋をするのが、貴族にとってどれだけ罪深いか、マリアは知っている。
でも、口をついて出る願いはとめられない。
「アルフレッド様に抱いていたような思慕ではなく、好きで好きでじっとしていられなくなるような恋人を作りたいのです。だから、修道院には入りません」
母は、びっくりした顔をしながら「じゃあ、これはいらないわね」と手紙を握り潰した。
「今さらなんてことはありませんよ。あなたの恋が、どこで見つかるかは分からないけれど、お部屋のなかで泣いていないで、外に出て行かなければならないわね。あなたに素敵な恋人ができたら、ぜひおうちに連れてきてほしいわ」
「そうします。わがままを聞いてくださって、ありがとうございます。お母様」
「かまいませんよ。母は、あなたの幸せを願っているのですから」
母はにっこりと微笑んで「そういえば」と切り出した。
「先ほど、レイノルド殿下がいらっしゃったわ。また求婚のお話なのじゃないかしら。どうします? 母がいって追い返しましょうか?」
「お母様が第二王子殿下を追い返してしまったら、お父様がかんかんに怒りますわ。わたくしがまいりますわ」
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