第6話 かわいいは先手必勝

「どういうことですの?」


 マリアは応接間に入るなり、出された紅茶を飲んでいたレイノルドに詰め寄った。 

 先日のアルフレッドに見紛う正装とは異なり、私用の黒いコートジャケットを着ていた彼は小首を傾げる。


「何か問題でもあったか?」

「外歩きに行こう、というお誘いは構いませんわ。問題はそのあとです。『薔薇庭園で着ていた小花柄のドレスをもう一度見たい』というのは、一体なんですの?」


 庭園で開かれたお茶会で、いじわるな令嬢たちに水をかけられたマリアは、予備のドレスに着替えた。

 流行している可憐なデザインだったが、煌びやかなマリアの容姿には似合っていなかったため、控え室にこもって誰にも会わないように心がけた。


(それなのに……!)


 あろうことか、控え室で昼寝していたレイノルドに見られてしまった。しかも彼はその装いがお気に召したらしく、外出の誘いを取り次いだ使用人にこう言った。


 ――マリアヴェーラに、薔薇庭園での装いを再び見せてほしいと伝えてくれ。


 言われるまま、そのときのドレスを衣装部屋から持ってきた侍女に、マリアは固辞した。しかし侍女たちは、ここがマリアの正念場だと熱心に説得した。


『第二王子殿下からのご希望を無下にしては、ジステッド公爵家の名がすたります。どうか今日だけは、私達の申す通りにお召しください』


 押し切られたマリアは、小花柄のドレスを身につけて、編み込んだサイドの髪を薔薇の花のように丸めたハーフアップスタイルにし、手には繊細な白レースの手袋と日傘という、愛らしいコーディネートをととのえた。


 やはりというべきか、『高嶺の花』というより『野辺に咲く小花』の装いは、主張の強いマリアの顔立ちには素朴がすぎた。

 姿見に自分の姿を映して一番に思ったのは、「服が着られている」という感想だ。

 

(愛らしいデザインは大好きだわ。けれど、嗜好と外見は一致しないものよ)


 自分の容姿をまっさらな心で見るとき、マリアはいつもがっかりする。

 これまでも可愛い服装にトライして、そのたびに失望してきたのに、性懲りもなく繰り返してしまう。それが、どれだけ愚かなことか分かっているのに。


 がっかりする心を隠して、平静を保つのも慣れたもの。

 しかし今回は求婚者からの求めなので、マリアは情緒がぐちゃぐちゃなまま、応接間に足を運んだのである。


 マリアに無理を言ってきたレイノルドは、少しも悪びれないで長い足を組んだ。


「俺が見たかったから、そう伝えたまで。何が悪い?」

「これでは嫌がらせでしてよ。この格好で外歩きなどしたら、『ジステッド公爵令嬢は、ついに似合わないドレスで街歩きするようになったわ、お可哀想』と同情目線のろくでもない噂を立てられてしまいますわ」


 他人のアラを探しに忙しい連中の抜け目無さには驚くばかりだが、人間というのはたいがいにして口が悪いものだ。

 小花柄のドレスを着たマリアは、連中にとっては格好の餌食になるだろう。


「それとも、他の求婚者が現われないように、わたくしを貶めるおつもりなのかしら。下手な先手ですこと。第二王子殿下は、よほどご自分に自信がないのですわね」


 試すように悪役を演じてみたが、レイノルドはさらりと受け流した。


「他を寄せ付けないため、か……。そういうのは考えてなかった。だが、理由ならある」


 立ち上がった彼は、マリアより少し見上げる位置にある顔をうつむかせて、細く巻いた亜麻色の髪を指にからめとった。


「これなら、あんたが可愛いって見せびらかせるだろ」

「かっ!?」


 びっくりしてマリアの声が裏返った。


「かかか、かわいい??? わたくしが?????」

「動揺しすぎだろ」


 軽く笑ったレイノルドは、髪先にキスを落として、上目でマリアを見た。


「こっちの方が、あんたらしくてずっといいし、好きだ」

「~~~~!」


 きゅうっと心臓が痛くなって、マリアは後ずさった。いきなり急角度で口説かれるとは思っていなかったので、鼓動がバクバクと信じられないほどに高鳴っている。


(このままではレイノルド様の思うつぼだわ!)


 マリアは、「ごほん!」と令嬢らしからぬ咳をして、高慢な表情を作る。


「見せびらかす? なんですの、その独占欲は。わたくし、まだ、あなたのものではございませんのに」

「これからそうなるから問題ない」

「子どもみたいな自己主張ですわね。それで口説いているおつもりかしら」

「実力行使されたいなら、本気で行くぞ」

「貴方の本気がどれほどのものか、見せていただきましょう。できるならですけれど」


 せせら笑うマリアに、レイノルドはニイと唇を引いた。


「ああ。可愛い悲鳴が聞けると思うと楽しみだ」



◇ ◇ ◇



 第二王子を運ぶには質素な馬車にのせられたマリアは、人生で一度も来たことのない下町で、スカーフを被らされて人目をはばかるように降車した。

 マリアをエスコートするレイノルドは、閉鎖されたアートホールの裏手に回って、地下へとつづく階段を下りる。


「閉鎖されてしばらく経っているようですが、ここにどんなご用事ですの?」

「…………」


 視線でマリアを黙らせたレイノルドは、ペンキの剥げた戸を、三回、七回、二回と独特な調子でノックする。すると、内側から戸が開いた。


 戸を押えるのは、鍛えられた肉体にスーツと蝶ネクタイを身につけた、見るからに柄の悪そうな男だ。


「ひっ」


 息を呑むマリアとレイノルドの顔を見ると、男は薄暗い廊下へと招き入れる。


「いらっしゃいませ。お久しぶりですね、レイ様。仮面はご入り用で?」

「くれ。二人分」


 男は、目元を隠す仮面を差し出した。黒い方が男性用、白い方が女性用で、女性用は手に持つステッキが付けられている。

 レイノルドは黒い面を付けると、マリアの手に白を持たせた。


 この時点で、マリアの嫌な予感は最高潮だった。


「これは何ですの」

「決して外すな。顔を見られると、色々とまずいだろ」

「まずい場所にわざわざ連れて来るなんて、どういう了見ですの?」

「俺の本気が見たいって言っただろ」

「言いました、けども! こんなの想定外ですわ!!」


 マリアは、ようやく相手が『悪辣王子』だと思い出した。町の悪党と通じていて、露見しないだけで犯罪にも手を出しているとか、貴族令息を脅しているとか……。


(そんな相手とは結婚なんてできませんからね! いくら顔や、声や、口説いてくれる姿勢が好みでも!!)


「仲がよろしいんですね」


 小声で言い争う二人を先導していた男は、顔を歪めて笑った。


「レイ様が連れとくるのは初めてでしょう。恋仲ですか」

「今日、ここで落とす」

「なっ?!」


「それはよろしいことで。個室も空いてますよ」


 マリアが心の準備をする間もなく、彫り込まれた扉がひらかれた。


「どうぞ、夢の時間をお過ごしください――」

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