第4話 こいびとの絶対条件

 声が応接間に近づいてきたので、マリアとレイノルドはピアノの影に隠れた。


「元手はいくらあってもいいんだ!」


 そう言って入ってきたのは、元クラスメイトの伯爵令嬢ミゼルとその恋人のパーマシーだった。家の格もほぼ同じで、とても仲の良い二人だと聞いていたが、パーマシーはミゼルを声高に怒鳴りつける。


「資金を集められたら、僕がしかるように運用して、二倍にも三倍にもしてみせるって言ってるじゃないか!」

「で、でも……わたしが渡せるお金は、もう残っていません……」

「君のお父様から都合してもらえないだろうか。これは未来への投資だと説明してくれ。僕が兄より認められれば、伯爵家を継がせてもらえるかもしれないんだ!」


 どうにもきな臭い話題だと、物陰のマリアは思った。

 パーマシーは都から遠いところに領地がある伯爵家の三男。現在の当主は持っている領地が二つあるので、長兄と次兄にそれぞれ継がせるはずだ。


 ミゼルにも兄が一人いて、跡継ぎに内定している。


 つまりパーマシーは、自分で事業を興すか、分配される貴族年金で慎ましく暮らすより、身を立てる方法はない。


(それで、ろくでもない投資にはまったのね。一発逆転なんてあるはずがないのに)


 リスクなく元手が二倍、三倍になる儲け話など存在しない。そんなものがあるなら、世界中の人々がタスティリヤ王国に来て、富豪になっているだろう。


「ごめんなさい、パーマシー様。お父様には援助をお願いできません……」

「は? きみ、僕が求婚したとき、爵位を継げなくてもかまわない、側で生涯ささえるって言ってくれたじゃないか。あれは嘘だったのか!」

「嘘ではありません。わたしは、今だってパーマシー様のこと……」

「もういい、返せ!」


 苛立った様子のパーマシーは、ミゼルの左手をぐいっと引っ張った。

 薬指にはまった婚約指輪を奪おうとしているのだ。


「――お待ちになって」


 見かねてマリアは立ち上がった。誰もいないと思っていた令息用の応接間に、よりによって『高嶺の花』令嬢と第二王子が潜んでいたので、二人は驚愕している。


「失礼ながら、お話を聞かせていただきましたわ。パーマシー様は、婚約者であるミゼル様からお金を巻き上げて、不健全な投資をしていらっしゃるようですね」

「不健全などではない。未来ある話に乗っているだけだ! これからアカデメイア大陸中へ、大量の魔晶石がばらまかれるらしい。タスティリア王国では流通していないこれを買い取って、国内で売る事業の一端をになうために、大金を準備して預けておくという立派な事業だ!!」


 魔晶石というのは、ざっくり言うと魔法を使えるようになる石だ。大陸の端にある聖教国フィロソフィーで採れると本で読んだことはあるが、マリアは実物を見たことがない。

 なぜなら、タスティリヤ王国では、魔法全般が禁じられているからである。


「この国では、魔法は使ってはなりませんわ。魔晶石が大陸中に広まろうとも、国内で売りさばくことはできないでしょう」

「それはこれから何とかなる。事業元のスート商会が、禁止を撤回させると約束しているんだからな」


 パーマシーは、なぜか勝ち誇ったように鼻の下をこすった。


「一人娘のプリシラ様が第一王子の恋人なんだ。そのくらい簡単だろう!」

「恋人に言われて、アルフレッド様が国の方針を変えるなんてこと……」


 ない、とは言えない。現に、彼は幼い頃からそばにいたマリアより、ぽっと出のプリシラに鞍替えした。彼の判断には、共にいた年月や責任の有無はともなわない。


(アルフレッド様は、いつもご自分のことばかりだったわね)


 気持ちが動けば、それだけで何もかもを変えてしまう。

 マリアとの婚約破棄においては、母である王妃に謝罪までさせているが、果たして彼は反省しているだろうか。


(していないでしょう。だって、相手はわたくし。アルフレッド様にとっては、どうなったっていい相手だったのだもの――)


「はっ。くだらねえ」


 突然、ガシャンと強烈な音がした。顔を向けると、レイノルドが窓際の花瓶をけり倒していた。花瓶は割れて、薔薇模様が美しい絨毯に水が広がっている。


「パーマシーとか言ったか。お坊ちゃまは知らないようだから教えてやる。現物が今は目の前にない。金を預けたらあとで倍にして返してやる。もっと金を集めてくればさらに還元してやる。どれも詐欺師の常套句だ」


 レイノルドは、ソファにどかっと腰かけて、悪党よろしく腕を広げて背にもたれかかった。はだけた黒いコートの血のような色の裏地が、より彼を凶悪な人物に見せていた。


「こういう話は、ある程度の真実を混ぜるものだ。たしかに大陸への魔晶石の流通は増えている。聖教国フィロソフィーの聖王も代替えするらしいし、あたかも詐欺師の言う通りになりそうな気配がある。だが、そうならない気配も同じだけある。俺の読みでは輸出は緩和されない。持ち上がっている儲け話は泡となって消える」

「で、でも、すでに出回っている分があるじゃないか! 王国内では魔法が禁じられているが、第一王子が撤廃するにちがいないんだから、それを確保すれば!!」


 なおも言い募るパーマシーを、レイノルドは冷酷に睨みつけた。


「そんな馬鹿な兄貴なら、俺が殺してでも止める」

「ひっ」


 パーマシーの息を呑む音が聞こえた。衝撃ついでに洗脳からも冷めてほしいが、愚かしい人間というのは死ぬまで性根が変わらないものだ。

 マリアは、パーマシーの背に手を当てる、けなげなミゼルに声を掛けた。


「ミゼル様。パーマシー様とのご関係を考え直すべきだと思います。爵位も財産もいらないと覚悟なさって求婚を受け入れられたのでしょうけれど、パーマシー様はあなたを本当に想っておられるでしょうか?」

 

 婚約破棄されたマリアが、ミゼルに婚約を説くなんて馬鹿げた話だ。けれど、彼女が持つ、純粋に好いた人に尽くしたいという真心なら、マリアにも覚えがある。


「真実の恋をしている人は、好きな人から何も奪いません。慈しみ、与えたい、ただそれだけ。そういう気持ちを恋と呼ぶのだと、わたくしは信じております」


 マリアは、そんな関係にアルフレッドとなりたかったのだ。

 だが、アルフレッドはそうではなかった。欲しがっても欲しがっても、例え婚約通りに結婚しても、彼はマリアに恋の煌めきを与えてはくれなかっただろう。


 第一王子の婚約者の座から自由になれたのは、いっそ幸いと言える。


「婚約破棄された身で言うと笑われるでしょうけれど、わたくし、ほんとうの恋をしてみたいのです」


 マリアが晴れ晴れと――周りからすると人並み外れて気高い雰囲気だったが――笑うと、ミゼルはぱちくりと瞬きをして、婚約指輪を失った左手を見た。


 無理やり引き抜かれたので、赤い跡がついている。彼女は、単純に貴金属を奪われたのではない。恋する者が心に秘める誇りを踏みにじられたのだ。


(あなたも勇気を出して)


 マリアの願いが届いたのか、ミゼルはパーマシーを支えていた手を引いて、令嬢らしく足を引いて腰を落とした。


「パーマシー様、婚約はなかったことにさせてください」

「なっ、なんでそうなるんだ、ミゼル!」

「愚かな恋から冷めたのですわ。マリアヴェーラ様のおかげで」


 ミゼルは、マリアに駆け寄ると部屋に入って初めての笑みを浮かべた。


「マリアヴェーラ様、ありがとうございました。わたしも、ほんとうの恋人を探そうと思います。在学中はお近づきになれなくて残念でした。お友達になっていただけますか?」

「わたくしでよければ、喜んで」

「ぼ、僕のことは、もうどうでもいいのか……」


 ショックを受けるパーマシーに、レイノルドが剣呑な調子で絡んだ。


「嫉妬しなくても、俺が仲良くしてやる。さっきの投資話、詳しく聞かせてもらうからな……」

「ひぇええええ!」

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