第3話 さいかいの薔薇庭園
アルフレッドに婚約破棄を告げられたマリアを待ち受けていたのは、第二王子からの求婚や父の叱責だけではなかった。
貴公子たちの卒業を祝うという名目で開かれた、王立薔薇園でのティーパーティー。大輪の薔薇がのぞめる円テーブルで、ヴァトープリーツがついた優雅なドレス姿のマリアは紅茶を飲んでいた。
同席する者はいない。あからさまに孤立している。
これまでなら我先にとマリアに話しかけていた令嬢たちは、各々グループを作ってヒソヒソ話。マリアに向けられる憐れみの視線から、話題は想像するにかたくない。
(十中八九、わたくしへのあざけりでしょうね)
さんざん『高嶺の花』と崇めてきた令嬢のトップが、大勢のまえで婚約破棄されたのだ。マリアへの妬みや嫉みを胸中に飼っていた連中にとって、これほど溜飲が下がるイベントもなかっただろう。
もはやマリアは遠慮する必要はない相手。
たとえ公爵家の名札をつけていようとも、見下せるポイントができたら標的になるのが、令嬢付き合いの面倒くさいところだ。
現に、学生時代はしおらしかった男爵令嬢のグループが、つまづいたフリをしてマリアにグラスの水をかけた。
今日のために仕立てたマリアのドレスは、胸元からスカートまでぐっしょりと濡れてしまった。
「失礼しました、マリア様。高嶺の花ならいざ知らず、一人でテーブルを占領している立場を弁えないご令嬢は目に入らなかったのです。お許しくださいませ」
令嬢らしい言い回しだが、直訳すると『第一王子にフラれたお前は、もはや高嶺の花ではなく負け組だ。今までのように振る舞えると思うなよ』である。
育ちはいいのに口が悪い。いや、悪いのは性格か。
マリアは、水を拭おうとする従者を手で制して、ゆったりと立ち上がった。
「かまいませんわ。ちょうど、ドレスを着替えたいと思っておりましたの」
「あら、もうお帰りになるんですの? これからご令息方との歓談ですものね。汚れたドレスでは、いくら公爵家のご令嬢といえど恥ずかしくて出席できないわよね」
勝ち誇った顔で見上げてくる男爵令嬢に、取り巻きたちが追従する。
「そんな風に言っては、マリアヴェーラ様がお可哀想よ」
「そうよ。きっとまだ婚約破棄が尾を引いてらして、他の男性とお話できる胸中ではないのでしょう」
「逃げ帰っても仕方がありませんわ」
キイキイとひびく声の、なんと耳ざわりなこと。
まるで小屋の屋根裏で鳴くネズミのようだ。
弁えていないのはどちらか分からせるため、マリアは麗しく微笑んであげた。
「素晴らしい会に呼んでいただいたのですもの。途中で帰ったりいたしませんわ。まだ着ていないドレスがあったので、途中で召し替えようと持たせてきたのです」
着替えを常備しているのは、アルフレッドの婚約者としての癖である。
彼は、気まぐれに訪問先を変えるのだ。
たとえば、庭園に行く予定で動きやすいデイドレスで来たら、急に歌劇が見たくなったと劇場の箱席に行くような場合、令嬢は場所に合わせて着替える必要がある。
もしも、場にそぐわない服装で行けば、マリアの評価だけでなくジステッド公爵家の評判にひびく。
着替えるために屋敷に帰って、アルフレッドを待たせるのも避けたい。
ゆえに屋敷を出る際には、三通りほどのドレスと靴、アクセサリーを馬車に積み、着替えを手伝う侍女も必ず連れていくようにしていた。
こうした公爵令嬢としての矜恃が、マリアの完璧さを下から支えているのである。
「使い回しのドレスしかない皆さまは、お茶会のあいだに着替える発想はなさそうですわね。お転婆もけっこうですけれど、もう学生ではないのですから、足下くらいきちんとご覧なさいませ」
マリアが悠々と反論すると、男爵令嬢は顔を真っ赤にして震えた。取り巻きはというと、自分たちは悪くないという顔で彼女と距離をとる。
従者を連れて控え室へ下がっていくマリアを、離れたテーブルで令嬢に囲まれているプリシラが心配そうな顔で見ていた。
◇ ◇ ◇
「……わたくしには可愛らしすぎたわね……」
手持ちのドレスに着替えたマリアは、姿見を見て溜め息をついた。
流行している小花柄のドレスをデザイナーに勧められて注文したが、持ち前の高貴な外見には似合っていない。
自分に似合うのは、花の一輪、一輪が際立つほど大きくあしらわれた大柄だと分かっていた。だが、マリアだって可愛らしいドレスに憧れがある。
先ほど虐めてきた令嬢たちが着ていたような、淡い水色、ピンク色、黄色といった膨張色。大きく広がったプリンセスラインのドレス。リボンを多用した子どもっぽいデザインを着こなして街を歩けたら、どれほど楽しいことかと思ってきた。
「マリアヴェーラ様、別のドレスもご用意してございますが……」
落ち込んだ様子を見て、侍女が化粧箱からキツい紫色のドレスを引き出してくれた。マリアは、少し迷ってから、このままでいいと告げる。
「先ほどのような醜態をご令息たちに見せるわけにはいかないわ。わたくしは、庭園には戻らずに、控え室で閉会まで時間をつぶすことにします。ドレスに合わせて髪だけ結い直してちょうだい。主宰にお礼状を書くから、便箋とペンを用意して」
「かしこまりました」
侍女は、造花のヘッドピースをマリアの髪にさし込んで整えると、手紙の準備をするために部屋を出て行った。
一人残されたマリアは、支度室を出て応接間に入る。招待状をもらった令嬢は皆、庭園に出ていて誰もいない。
(今頃、アルフレッド様はプリシラ嬢と楽しく過ごしてらっしゃるのかしら)
考えながらカウチソファに腰を下ろすと、むぎゅっとしたものに触れた。
「きゃあっ!?」
驚いて立ち上がる。見れば、ソファには先客がいた。黒いコートジャケットを着たまま昼寝していたのは、第二王子のレイノルドだった。
マリアが乗っかってしまったお腹を片手で押えて、びっくりした顔をしている。
「急に何かと思ったら……。ここで何してる」
「それはこちらの台詞でしてよ! 庭園に行かずにご令嬢たちの控え室でお昼寝だなんて、暴漢にまちがえられても仕方がないでしょうに」
「ご令嬢たち……? ここは令息の方の控え室だ」
「えっ?」
辺りを見回すと、庭園に移動するまえに入った応接間とは、家具の配置が異なっている。壁紙やシャンデリアが同じだから油断していた。
入る部屋をまちがったのはマリアの方だ。
「わたくし、なんて失態を……!」
「ふっ」
起き上がったレイノルドは青ざめるマリアを見て吹き出した。
「部屋をまちがったことといい、ソファに寝てる俺に気づかず座ったことといい、完璧そうに見えて抜けてるな、あんた。『高嶺の花』だのなんだのと持ち上げられているけど、本当はかわいいじゃないか」
「わたくしが、かわいい?」
綺麗だとか、麗しいだとかいう褒め言葉はよく浴びるけれど、可愛いと言われるのは珍しい。
幼児期から久しく聞いていない気がして、マリアの胸はさわさわ落ち着かない。
「ご冗談はおよしになって。わたくしに可愛げがないことは承知しております。こんな容姿では、流行のドレスも着こなせませんのよ。だから、アルフレッド様はわたくしを……」
選んでくれなかったのだ。言おうとした言葉は飲み込んだ。
言ったら、また泣いてしまいそうだったから。
「サボり魔のレイノルド様は、どうして参加していらっしゃるのかしら? 他の令嬢とお近づきになるためなら正直におっしゃって。求婚については考え中ですから、わたくしは怒りませんわ」
マリアは、肩にかかった髪をはらい、自然な流れで後ろを向く。これで、もしも涙がこぼれてしまっても、彼からは見えないだろう。
だが、マリアの方からもレイノルドが見えないのは誤算だった。
「参加したのは、あんたの顔を見られるかもしれないと思って……」
「わたくしの顔?」
驚いて振り返ると、いつの間にか立ち上がっていたレイノルドが間近にいて、顎に指をかけて上向かされる。
一筋縄ではいかなそうな瞳が、マリアを大きく映し出していた。
「来て正解だった。あんたの可愛いところを見られたから」
「~~!」
愛おしそうに目を細められて、マリアは真っ赤になってしまった。
ちょうどそのときだ。どこからか、言い争うような声が聞こえたのは。
「なにかしら?」
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