第5話
べつにぼくは、ファンタジー映画に出るような姿をしていない。
人間の姿だし、顔だって青くなければ、翼も尻尾もない。
ただ、死んだときの歳のままということだけ。
「それは、あなたの本当の姿なの? 変身してるとかじやなくて?」
夏目は
「わたしと、同じくらいの年のフツウの人に見えるけれど」
「うん。これはぼくの本当の姿だよ」たぶん。
「どのくらいの間、その年なの? もしかすると、ずっと長いあいだその姿なの?」
「それはね、ぼくにもわからない。ぼく自身についての記憶はなくなっているから」
「でも名前はあるんでしょう? 名前を教えて」
名前を聞かれたのも初めてだけど、悪い気はしなかった。
「ぼくの名前は、
「リン…そう、輪さん。
ふしぎ。あなたはこの世の人じゃない。なのに、そんな姿をしているから生きてる人のようにしか見えない」
夏目は、目の前にいるぼくを見て考えていた。
(目が茶色で髪はくせ毛であごが細くて、なんだか内気でぼんやりしていている感じ…)
彼女は、ぼくをまっすぐ見て、ほほえんだ。
「輪さんは、私を助けるために来てくれたの?」
たぶん、夏目はそう思って当然だし、ぼくも助けてあげたいと思う。けど…、
「ぼくは、きみのガイド役にはなれない。正直、何も教えてあげることはできないんだ。これから、きみに何が起こるかも。ぼくだって、わからないから」
——助けるために来た、と言ってあげたいけれど。それはやっぱり違う。
監視するために、ここに来たんだから。それもたった3日間だけ。
そんなのとてもぼくには言えない。
「じゃあ、あなたが知っていることは? 1987年のお母さんのこと知ってる?」
夏目は、ゴマフアザラシの子のような、大きな目でじっと見ている。
「じつはね、ぼくに渡されたのは、この紙切れだけ。
ぼくも驚いたけど、唯川夏目に関して書かれていることは、たった3つしかない。
…いい?よく聞いて」
1、唯川夏目は、高校2年生
2、9か月前にスカウトされて、事務所が借りた古いマンションに住んでいる
3、今の時点では、夏目はまったく売れていない
「それだけなの?」
「それだけ」
「おかしくない? 売れてないって、トップアイドルだったのよ。お母さんは」
「トップアイドルになって日本中の人に知られるのは、『この先の時間』のことなんだよ。
今の唯川夏目は、まったく無名なんだ」
夏目は、この事実を聞いて考え込んでいた。
(見守る人…ううん、神様は、死ぬはずだったお母さんを、助けてくれようとしてる。その神様が教えてくれたのは、たった3つのことだけ。
これにはきっと、何か意味があるはずだわ)
この事態を、夏目は必死に頭の中で整理している。
「いまのわたしは、1987年の過去にさかのぼって、『人気者になる以前の17歳の子』になっている。
それってつまり、これから一歩ずつ階段をのぼれ、ということ」
ぼくは、夏目を見ていて、ひとつ確かめたいことがあった。
「きみに聞きたいんだけど、きみは、お母さんが17才のとき、何をしていたのか知ってる?」
「そりゃあ、お母さんは、なんでも話してくれたもの。全部知ってるよ」
夏目は、下唇をちょっとかんでだまりこんだ。
(へんだ。ひとつも思いだせない)
「だと思った…きみがお母さんから聞いた17才の結川夏目の記憶は、消えているんだ。
ぼくも同じ。唯川さんがトップアイドルとして活躍していた記憶はない。
過去にさかのぼるルールだよ。この世界で「これから起こること」を、「その前に」知っていてはいけない」
なぜなら、運命を変えてしまうかもしれないから。
夏目はだまりこみ、複雑な顔をして、天を見上げた。
「きっと、見守る人は、きみにお母さんのマネをしてほしくないんだ。
きみが自分の頭で考えて、トップアイドルへの階段を上ることを望んでる。
とにかく、きみは17才のお母さんのことも仕事のことも、1から知らなくちゃいけないってこと」
「お母さんのマネをしてほしくない…」
「そうだよ。しかも、きみが何も知らない、この世界で。ただ外見だけが、お母さんのかわりじゃダメなんだ」
夏目はぼくに向かって言った。
「これから何をするか。自分で考えて決めなきゃいけないってことか。
だけどわたし、何をすればいいんだろう? どうすればいいの?」
テレビに映る「夜のヒットスタジオ」は、もうエンディングの時間だった。
歌い終わった人気歌手たちが、ずらりと並んでいる。
いずれ、あの中に夏目がまじって、歌をうたう? そんなことができるんだろうか?
——とんでもない使命だぞ。
彼女は、とても強がっている。本当は、心の中では、母親のようになれる自信なんて、まったくない。
いくらぼくでも、何か彼女のためにしてあげたいと思う。
でも、何ができるんだろう?
どうしてぼくが、この仕事に選ばれたんだろう?
あごに人差し指をそえて思案(しあん)していた夏目は、ふと西側の壁を見上げて言った。
「記憶に残らない
「え?」
「よく…記憶に残らないような風景画ってあるでしょう? さっきまで、壁に飾られていたのに、いまは違ってる」
たしかに風景画はなかった。そもそも、記憶にないけれど。
かわりに壁には、5行の文字が書かれていた。
・・・・・・・・・・・・・・・
「扉」は、きっときみの役に立つ
それは隠された場所にある
第1の扉のカギは、Gスタジオ
けれど忘れてはいけない
きみのいちばん大事なものは何?
・・・・・・・・・・・・・・・
「さっきまで、こんなの書かれてなかった」
(いつの間に、誰が書いたんだろう? お母さんは書いたりしない)
「もしそうなら、これを書いた人はぼくたちに気づかれずに風景画を動かして、文字を壁に書いたことになるね」
ぼくは、5行の文字をみて思った。この世でそんなことができるのは一人だけだ。
それにしても、この謎のような言葉は、どういう意味なんだろう?
夏目がいった。
「これは、たぶん、目標だと思う」
「目標?」
「『いちばん大事なもの』と書いてあるから、目標だと思ったの。でも、わたしの目標だったら、はっきりしてる」
この人らしい、と思ったものの、ぼくは違う気がした。
「もしも、見守る人が書いたのなら、この意味は簡単にはわからないよ。あの人は、人間が自分の力で、答えを見つけることを望んでいる」
ずっとずっと昔の古い神話の時代から、あの人はそうだった。
壁の文字を見つめていた夏目は言った。
「わたしに、何かを見つけさせようとしているんだ。神様はやっぱり…、
でもどういうことなんだろう。『Gスタジオ』って?」
「わからない。東京にはスタジオなんて山ほどある。それに、目に見えない扉って書いてある」
夏目は、デスクの上のノートを開いて、5行の文字をていねいに書き込んでいた。
「あとで、ゆっくり考えてみる」
(わたしはこの時代のことを何も知らない。アイドルの仕事のことも何の自信もない。
でもたぶん神様は、わたしに何かを教えてくれようとしている)。
夏目は、ノートを大事そうに胸に抱いて、ぼくのほうを向いた。
「ありがとう。輪さん」
「ありがとう? どうして、ぼくにいうの?」
「それは……わたしが、ひとりじゃないから」
彼女はにっこり微笑んだ。
ずっと忘れていた温かい感情が心の中にわきあがってきて、うろたえたぼくは打ち消すように言った。
「今は、とにかくできることをやろう。
この言葉の意味を探すのは、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます