第4話

 夏目は、息をゆっくりいて、自分がいる場所を見回した。


 ここは病院じゃない。だったらどこ? わたしは、どうなったの?


 見たこともない部屋にいる。若い女の子の部屋だ。

 右手の壁には高校の制服がるされている。デスクの上には赤いラジカセと鉛筆削り、テーブルの上には、LPレコード。


(この部屋の中は、まるで昭和の世界だ)

 わたしをだますために、こんなことする? 


 右から左へと視線をうごかす。風景画ふうけいがの下の写真が目にはいった。


 10代のお母さんが笑っている。となりにいるのは、おばあちゃん?

 う…。おばあちゃんが、若い。


 彼女は、おそるおそる自分の髪の感触かんしょくをたしかめた。

(サイドにレイヤーを入れたロングヘア。わたしの髪じゃない、こんなに伸ばさない)


 ふと、そばにある手鏡に気づく。

(さっきの話が真実だとしたら、この鏡にうつるのはわたしじゃない)


 鏡に手を伸ばして、のぞきこむ。


 鏡の向こうで、彼女を見つめ返したのは、大きくてきれいな瞳。

 10代の少年たちが、一瞬で心を奪われた瞳。


 それは、わたしのお母さん。



            

 唯川夏目の娘を追いかけてきたぼくは、この部屋にいて、彼女の様子を見ていた。

 ぼくの姿は、見えていない。

 いつ姿を見せたらいいのか、迷っていた。

 いやそれだけじゃない。


 高校のものらしき、えんじ色のジャージを着ている彼女に、ぼくは見とれていた。


 彼女よりきれいな人は他にもいる。けど彼女はだれとも違う。

 なぜ、この人を見ているだけで、幸せで温かい気持ちになるんだ? 


 いったいどういうことかわからない。

 目にうつるものではなく、その向こう側にある何か。


 この人は、たしかに原石げんせきだ。いつか、とてつもなく輝くはずの原石。


 夏目は、手鏡を戻して、ほっそりした指を目の前にかざした。

 頭の中で必死に考えている。

うつしかえられた…さっきの話のとおり、わたしはお母さんに、唯川夏目になってる)


 おや? ぼくは思う。ここまではみんな同じ。

 そしてパニックを起こす。みんな泣きべそをかいて取り乱すか、閉じこもる。

 でも彼女は、取り乱したりしなかった。


 心のなかに、おびえや混乱はあったけれど、今まで見た人たちの中では、いちばん自分をコントロールしている。ぼくは感心した。


(見守る人がいったように、ぼくは心が読める。といっても完ぺきじゃない。なぜなら心は複雑なもので、本のように整理されているものじゃないから)


 ぼくに見られていること知らない夏目は、立ち上がり(ちょっとよろめいた)ゆっくり足を運んで、窓を開けた。


 ——自分の目で、確かめようとしている。


 時間は22時ちょうど。夏目の目にうつる夜の風景は、暗くてぼんやりしている。

(マンションの3階にいるんだ、わたし)


 外は、何もかも少しずつ違う。立ちならぶ住宅も給水塔きゅうすいとうも電柱の看板も。

(まるで本物の「サザエさん」の町にいるみたい)


 古い形のホンダシティやトヨタマークⅡが、眼下がんかの車道を通りすぎていく。

 すべてが、これは現実だと告げている。

 夏目はカーテンを閉めて、部屋のテレビ(箱みたいなやつ)をつけた。


 歌番組がはじまったばかり。まさに80年代という衣装の歌手たちが、ずらりと並んでいる。

 これは、あの伝説の歌番組「夜のヒットスタジオ」。


 南野陽子さんがいる、近藤真彦さん、荻野目洋子さん、一世風靡いっせいふうびセピアも…

 もはや疑いようはなかった。

(わたしは現実に80年代の世界にいる)。



 まだ、ぼくはためらっていた。

 夏目に、姿を見せなければいけない。でも、死んだ人が突然目の前にあらわれたら? 


 あまりにも多くのことが起こったんだ。これ以上、彼女を怖がらせたくなかった。

 じゃあ、どうやって話しかけたらいい?


 未来の物を、「過去」に持ち込むことは、禁じられている。

 けれど、ぼくは特別に許可をもらって、「あるもの」を持ちこんでいた。


 最初のコンタクトでは、前の世界で親しんでいた物を使ったほうが、すんなりいく。

「あるもの」とはスマートフォンだ。


 もちろんこの時代に、電話の基地局なんてないけど、ぼくは電気で動く物体をあやつることができる。数少ないぼくの能力の一つだ。


 ぐずぐずしても仕方ない。ぼくは、スマホを操作した。


「主よ、人の望みの喜びよ」が、部屋に鳴りひびいた。



 夏目は、テーブルのかげに、ひっそり置いていた青空色のスマホを見つけた。

 ひざを曲げてさっと手を伸ばして、ぎゅっと耳におしあてた。


 ぼくは、おだやかな声で話す。こわがらせてはだめだ。


「よく聞いて。このスマホは、まだこの時代には存在してない。きみが受け入れやすいと思ってこれにしただけ。できるだけ話そうと思うから落ち着いて。できる?」


「うん…はい」


「きみはさっき『見守みまもる人』と約束をした。だから1987年に送られてきた」


「これは、本当に起こってることなの?」

「そうだよ。本当に起こってる」


「だったら、お母さんは助かるのね」


「うん。助かる。きみが、約束をはたせばね」


 ——きみが払わないといけない代償だいしょう、それはあまりに大きいけど。


 夏目は、その場に座りこんだ。足が少し震えている。けれど、口から出た言葉は一つのためらいもなかった。


「私は約束した。やると言ったわ。お母さんが助かるなら、どんなことも」


 一つ言えるのは、この人は、すごい意地っ張りらしいということ。


 スマホをにぎりしめたまま、夏目はぼくに質問した。

「あなたは誰? あの人たちの仲間?」


 仲間というより家来だな。


「うん、ぼくは命令されて働いているんだ。きみの後を追って、送り込まれてきたってわけ」


「あなた天使なの?」


「ぼくは天使じゃない」


 できるだけ明るくさらりと言う。

「きみと同じ人間だった。死んだあとに、『見守る人』の手伝いをしてるだけ」


 ぼくは簡単に説明した。人間たちを「見守る人」のこととか、生まれかわることを拒否された死者がいることとか。


 ——信じられない。絶対こんなの信じられない。

 いままで会ってきた人は、必ずこういった。


 だけどこの人は、ぼくの話を聞いても「信じられない」と一言も言わなかった。

 信じなければ、母親は死ぬしかなかったからだ。


「状況は、のみこんだ? 

 じゃあその話はここまで。いつかゆっくりしてあげる。

 さあ立ち上がって。きみの体のことを確かめないといけないから」


「え? からだ?」


 未来はぎょっとして、部屋を見回した。

 誰もいない。


 あわててぼくは「変な意味じゃないよ。適合てきごうがうまくいっているか、体を動かして確かめてほしいんだ」


 なぜか、この人を見ていると、ぼくのほうが照れてしまう。いささかこの仕事は、やりにくい。


「立ち上がったら、右回りに回ってみて」


 彼女はけげんそうな顔で、右手にスマホをにぎったまま立ち上がる。


 夏目が立った時のシルエットは、ふつうのジャージ姿(これを部屋着にしてるらしい)

 なのに、ありえないほど魅力的だった。

 こんなの見たことがない。


 ふと思う。(まいったな、この人は少年漫画のヒロインに勝ってるよ)


「右足を上げて左足を上げて。そのまま回ってみて」

 くるりと回ったときの、運動神経の伝達でんたつは完ぺきだ。


「どこか窮屈きゅうくつなところは? ゼリーの中に沈んでいる感じとか、しない?」


「ううんしない、ピッタリだよ」


 お母さんの身長と体重は、ほぼ「以前のきみ」と同じ。

 血のつながりがあるから、適合は最高にうまくいってるようだ。


違和感いわかんはない?」


「鏡を見ると、異常にかわいいことくらいね」

 夏目はにこりともせず言った。


 ——そういう無駄口むだぐちがたたけるならだいじょうぶ。


「ほかには?」


 夏目は奇妙なことをはじめた。その場でぴょんぴょん飛びねたり、肘を曲げて、かくっかくっと、上下左右にロボットみたいに動かしたり。

 この人は、なんか変わっているかもしれない。


「何してるの?」


「なんだか…、じっとしていられない」


「どうして?」


「17歳の時のお母さんだよ。それもただの17歳じゃない。みんなが憧れた人。

 長い髪も、この笑顔も、このきれいな指も、とにかくわたし…何を言ってるんだろう。じっとしてられない」


「わかった。わかったから、もういいよ。そんな変てこなことしなくても」


 夏目は、はっとして、スマホを耳からはなした。


「やっぱりわたしを見てるのね。ここにいるの?」


「うん」


 ぼくはひとこと、まぬけな答えを口にする。


「さっきから?」と夏目。


「さっきから」


 とにかくこの瞬間がぼくは嫌いだってこと。ぼくがいることに相手が気づいて、

 警戒する顔に変わり、おびえ、そして…ぼくを避けようとする。


 だけど、この夏目の反応は、違った。

 おびえてもいないし、避けようともしていない。


「きみ、怖がらないの? たいてい怖がるのに」


「わたし、今日はいろんな目にあった。だからもう何があっても驚かない。

 それより姿が見えないほうがもっとイヤ。あなたの姿を見せて」


 姿を見せろ、と言われたのは初めてだ。たいていは、見たくないって言われる。

 やっぱり、この人はちょっと変わっている。


 少しためらったけれど、ぼくは姿を現すことにした。


 いきなり真正面にたつと、おどろかせてしまうから、夏目の1メートルうしろに。


「どこにいるの?」


「きみのうしろ」


 夏目の長い髪のすそは、少し茶色みがあった。華奢きゃしゃな背中だと思った。

 背中は、ぼくの気配を感じて、すこしこわばる。


 夏目はまっすぐ前を向いたまま、気丈にいった。


「ふりむいてもいい?」


 ゆっくり右足をじくにして体をターンし、ぼくを見た。


 なぜかわからない。やっぱり彼女は、こわがりはしなかった。

 

 考えても説明がつかない。

 彼女は、ぼくの存在を、すぐに受け入れた最初で最後の人だった。



 とにかく、こうしてぼくたちは出会ったんだ。

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