第6話 1987年の部屋

  

* * * * * * *

prologue


 私たちは、たくさんの人々に、光を与えた人物を見守ってきた。あなたのお母さんはそのひとり。数えきれない人が希望をもらったの。


 でも、唯川夏目のたましいは、傷ついて疲れきっている。

ずっと昔に、人気が頂点に達したときに深く魂が傷ついたの、深く深く。そのままむしばまれた。

 娘のあなたには必死にかくしていたのよ。


〈過去〉に傷ついて、長い時間をかけて力をなくした魂は、もう〈現在〉ではなおせない。。

 でも、たった1つだけ方法がある。


 それは、〈過去〉にさかのぼって、彼女の魂をきとること

 ただし人間の魂は、簡単に抜きとることはできない。


 時計の電池を抜いたら、時計は動かなくなる。それと同じ。

 魂を抜いたら、お母さんの〈過去の時間〉はそこで止まる。

 命の時計を動かし続けるためには、かわりの魂が必要なの。


 見守る人は、わたしの目をのぞきこんで言った。


 あなたよ。かわりの魂は。

 あなたの魂を〈過去〉に送り込むの。

 あなたは1987年の世界で、お母さんの〈かわり〉になるのよ。


 * * * * * * *





「さあ、私はこれから何をしよう?」 


 夏目は、のフォトフレームの中にいるお母さんを見ていった。


「安心していていいからね。わたしにできることを、一つ一つやる」


 夏目は少なくとも、いままでぼくが会っただれよりも真剣だった。

 というものの…、


「きみは1987年のことを学ばないといけない。明日からこの時代の人々と生活しないといけないから。

 でも、それより前に知らなきゃいけないことがある」


「うん。わかってる」


 彼女は、写真から目を離して言った。

「お母さんのことね」


「さっき言ったように、きみは17才のお母さんのことも仕事のことも、何も知らない」


 夏目は静かにうなずいた。少し落ち込んでいるんだろうか…


「わたしはこの部屋の中で、手がかりを探すしかないということね」


 ぼくは励ましたくて、現状の明るい面を指摘してきする。


「ぼくらが、お母さんの部屋に送りこまれたのは運がよかったよ。

 だってさ。人は部屋の中に、いろんなものを集めているし、うまくいけば仕事の手がかりもあるかも」


 ぼくたちは、あらためて1987年の部屋を見回した。


 正面には小さなデスク。文庫本と英和辞典と「ELLE」がならんだ本棚。たぶん小学生から使っていた可愛いタンス。なつかしいプッシュホン電話機、ベッドの上には手作りカレンダー。


 夏目は、うっとり見とれていた。

 落ち込んでいるどころか、その目は好奇心できらきらしていた。


(ここは、17歳のお母さんの部屋。私がまだ生まれる前のお母さんの部屋)

「小さな部屋だけど、わたしにはどんな宮殿きゅうでんよりも価値がある」


 なんだか初めて女の子の部屋にまねかれたみたいに、ぼくもどきどきしてくる。


 まず夏目は、小ぶりのクローゼットを開けてみた。

 洋服がきちんとかっていて、どの服もシンプルなのに、いわく言いがたい品があった。


 夏目の頭から「手がかりを探す」というのが、吹き飛んでしまった。


(あの人が着た服。17歳の女の子のクローゼットだけど素敵だ。

 ゆったりしたワンピースの手触り、顔を近づけるとお母さんのにおい。やさしい甘いにおい)


 巣の中のヒナにやさしくさわるように、そっとふれている。

(あの人らしい。ワンピースが好きで、信じられないくらい似合にあってた)。


 しばらく、じっとそのにおいを感じていた。


 涙目になっていた夏目は、クローゼットを静かにしめた。

 もう一度部屋を見回す。


「ここにあるのは、ただのモノじゃない。どれもみんなお母さんのことを、わたしに教えてくれる」



 小さな部屋にもかかわらず、いろいろなものがあった。

 帽子、アルバム、絵はがき、バービー人形、「明星」のヤンソン…。


 どうやらこの人は、没頭ぼっとうすると、とことんのめりこむ人らしい。

 積んであったマクセルのカセットテープも手に取って、しげしげと見つめる。

(ラベルには、かわいい手書き文字)

 大滝詠一、レベッカ、EPO、ザ・スクェア、カルチャー・クラブ、


「知ってる?」という顔でぼくをみる。


「うん。すばらしい曲がたくさんある」


 裁縫道具をいっぱい見つけた時は、胸に抱えてびはねるほど大騒ぎする。


「見て。お母さん、手袋にリボンをいつけてる。スカートの裾上げもきれい。すごい。学生のときから手縫てぬいが好きだったんだ」


 そのすごさが、ぼくにはまったくわからない。だけどすごいらしい。


「もしもこの部屋のあるじが私の友だちだったら、感心すると思うわ。しっかりしている。でも女の子らしい」


 夏目がそうやって感激したり、お母さんが部屋の中でどんな生活をしていたのか、目を輝かせて空想しているのを眺めているだけで、ぼくは飽きなかった。


 この人は最初、ぼくが思っていた人とは違うかもしれない。

 ちょっと少年っぽいけど、礼儀正しいし元気だ。

 つい、この人が次に何を言い出すか期待してみている自分に気づく。


 ぼく自身も夏目の熱が伝わったか、手がかりを探すことに没頭ぼっとうしてしまった。


 そして最後に残った場所は、デスクの「引き出しの中」だった。


 見つけたものはたくさんある。見つからなかったものも…。


「好きなものは、わかったけれど肝心かんじんなものは見つからないね」

 夏目が、ぽつりといった。


「うん。『仕事の手がかり』は何一つなかった」



 仕事の手がかり。とにかく「それらしいもの」は皆無かいむだった。


 そもそもこの部屋にはアイドルらしいといえるものもなかった。服もアクセサリーも、センスは良かったけれど。


 しいていえば、「デラックスマガジン」「MOMOCO」など、アイドルグラビア雑誌が何冊もあったくらいだ。


 残るは、机の引き出しだけ。


「わたしが開けていいのかな」


 夏目は、ためらっていた。

(お母さんにも「秘密」があるかもしれないし。とんでもないものがあったら…)


 でも、仕事の手がかりはほしい。

 少なくとも「明日の予定」だけは知らないと「みがわり」なんてできないのだ。


(だから引き出しを開けるね。大事な手紙は見ないから、ごめんね)

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