『罪』-①(6/11花金参加作)

 早朝。誰もいない教室を見渡す。

 朝練の途中で教室に戻った時に、薄暗い静寂の中で、彼はいつも机にノートを広げてうつぶせて寝ていた。思えば休憩時間も、彼はいつも勉強をしているか寝ていたと思う。

 主を失った机の上に小さな花束。静まり返った教室で、それは以前よりずっと彼の存在を物語っているようだった。



 放課後、私は彼が事故にあった現場に行く事にした。

 風の噂で聞いた辺りの事故情報を検索すると、田舎なりの繁華街の裏通りだった。

 見通しが悪いカーブの二車線。花束が掲げられた一角は、確かに車が近づかなければ視界には入らないつくりだ。だけど、車通りは多くなくて通行人もまばらだった。

 どこか現実感薄く、彼が亡くなったという何の変哲もない道路のアスファルトを見つめる。時折聞こえるエンジンの音に、意外と近くから現れてくる車体に視線を奪われては、自分が何を求めてここにいるのかわからないまま路地に立ち尽くしていた。


 どのくらいそうしていたのかわからない。ふと視線を感じた。

 顔を向ければ、そこには他の高校のブレザーを着た女子が、涙を流しながら遠目に花束を見つめていた。彼女の視線がゆっくりと私へと向いて、目が合う。ほんの少し、無言のままで見つめ合った。


「前田君の友達?」

 彼女は静かに私に歩み寄り、涙の途切れない瞳で睨みつけるようにして口を開く。

 友達と言えるほど仲が良かった訳ではない。でも、適切な関係性など思い浮かぶ訳ではなく、私は小さく頷く。

「同じクラスだったんだ。あなたも友達?」

 彼女は数度またたいて、まなじりに溜まった涙を払い落として答えた。

「私は一緒のバイトしてたの。ほら、すぐそこ」

 振り向いて、ほんの数メートル離れただけの建物の裏口を指し示す。表通りに看板が出ていたダイニングバー。ビルの裏側にあるのは地味な扉だけだ。どうやらここが、彼がアルバイトをしていた店らしい。


 彼女はまた私をキッと見つめて尋ねる。

「彼女じゃないんだ?」

 恋人どころか、友人ですらない。それなのにここにいる私は少し不審者染みているだろうか。少し居心地が悪くなって、私は口元を歪ませて頷いた。

「そう」

 彼女は、小さく微笑んで、ぽたりと涙を舞い散らせて目を細めた。

「私、ずっと前田君のことが好きだったの。とっても優しくて、頼りになって。でもいつも脈はなくって」

 それから、空虚な視線を道路へと投げかけて、ぎゅっと目を閉ざした。

「ここが危ない事なんて、知ってたはずなんだよ。だって、私にそう教えてくれたのは前田君だもの。向こうに柄がよくないクラブがあって、酒に酔った暴走車がたびたび走ってるって。なのに、事故なんておかしいと思わない?」



 私は、彼女…伊佐いささんと一緒にこじんまりした喫茶店で向き合って座っていた。流れ続けた涙に目を赤く腫らした彼女にハンカチを差し出す。彼女が手に持っているものは、もう滴りそうなくらい湿っているように見えた。

 彼女はハンカチを受け取って小さく笑った。私のハンカチで押さえた瞳は、うるんではいるがもう濡れては無かった。

 耳に微かに届くくらいのボサノバ。表通りを車が走る音。水滴を携えたお洒落なグラスの中で、カランと小気味良い音を立てて氷がオレンジジュースに沈んでいく。

「……好きだったんだね」

 ぽつりと彼女に声をかける。痛いほど伝わってくる悲しさに、彼女の気持ちを思い知っていた。

 伊佐さんは、頷いてから私に問い返した。

「…諸ちゃんも、でしょ?」

 じんわりと、その声が胸の中の喪失感を染めていった。


 例えば、朝バスから降りて一言挨拶を交わす瞬間。

 私と彼だけしかいないかのような閑散とした空間で、どこか親密感を覚えていたと思う。

 上手に話しかけることが出来なかった。でも、話しかけたいと思っていて、いつかそうできたらとも思っていた。

 彼は無言だったけど、鬱陶うっとうしがられたり、嫌がられたりもしていなかった。彼もまた、積極的に誰かと会話しようとする人ではなかった。だから、無言を破れなかった。

 ただ、勇気がなかっただけだ。

 明日は、もしかしたら。その明日は、永遠に失われてしまった。


「……そうなのかもしれない」

 認識すれば、途端に息が詰まった。視界が鈍色にびいろをしていた理由がわかった。じくじくと、胸の奥底が痛んでいた。

「そうなのかな」

 あふれだした想いが、伊佐さんと同じようにほろほろと水滴になって空を濡らして行った。

 伊佐さんはそんな私の隣に座って、私のハンカチで頬を拭い、背中を撫でていてくれた。

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