『罪』-②(6/11花金参加作)

 伊佐さんと連れ立って、彼の家に行ってみる事にした。

 彼女は彼の住所は知っていたものの、一人で訪問する勇気がなかったらしい。彼は家の事を語らない人間で、その家族と連絡を取る術は知らなかった。だから、取りあえず訪問し、ご迷惑でなければ弔わせて頂こうという話になった。


 彼女が場所を検索しながら、訪れたのは寂れた住宅地だった。

 崩れかけのブロック塀に添った狭く入り組んだ道路に、古い昭和建築のアパートが立ち並んでいる。迷路のように右へ左へと道を進み、辿り着いたのはボロボロの二階建てアパートだった。

 緊張しながら、その一室の呼び鈴を鳴らす。四端の表面が剥がれた木製のドアの脇にある、配線が見えているチャイムのボタンを押すと、部屋の奥から電子音が響くのが漏れ聞こえた。私と伊佐さんは、肩を寄せてじっと扉を見つめて待った。


 ガチャリと金属の音が鳴り、扉が開いた。

 その瞬間、つんと温いアルコールの匂いが鼻をつく。現れた白髪に坊主頭の男性が、明らかに酔った風体でゆらゆらと揺れながら強面こわもてをこちらに向けた。

 制服姿の私たちを見つめ、物珍しそうにぱちぱちと瞬いて、アルコール臭い息とともに言葉を紡ぐ。

「もしかして、さとるの友達かい?」

 私たちがただ頷くと、男性は皮肉気に口の端をゆがめて私たちを屋内に招いた。

「あいつにも友達が居たんだなぁ。汚ねぇ所だが、会ってやってくれや」



 狭い室内は小奇麗に整えられていて、生活の匂いがした。キッチンにギリギリの幅で据えられたダイニングテーブル。その上に転がっている大量のビールの空き缶を横目に、奥へと足を運ぶ。色褪せた畳の和室。小さな仏壇に、集合写真が引き伸ばされた彼の遺影と小さな壺が並んでいた。

 そこは、普段の彼からは想像もしたことがない空間だった。

 私は、伊佐さんと共に仏壇へ手を合わせた。何も言葉は出なかった。



「本当に、よく出来たガキでなぁ」

 男性は、部屋の壁にもたれて尚もビールをあおりながら、私たちをどこか遠い目で見つめていた。プラプラと缶を揺する手には薬指の先と小指がなく、服の間から覗く腕には青緑の柄が見えていた。

「苦労しかねぇのに、何もかも気を回しやがって」

 屋外の騒音が漏れ聞こえる小さな和室には、アルコールの匂いが充満している。それでも懺悔するかのように、男性は一人言葉を吐きだし続けた。


「事故なんだってさ。良くできた事故なもんだ。俺の首の代わりに、あいつに掛けられた保険金を回収ってか。こんな死に損ないの為によう」

 ケラケラと、空虚な笑いが耳に響いた。だけど、乾いて掠れた声音は苦渋に満ちている。

 私は伊佐さんと顔を見合わせて、ぎゅっと手を握り合い男性を見つめた。

 私たちと目が合った男性は、顔をくしゃりと歪ませて、缶をぐいっと煽ってから放り投げた。


「組を抜けるために、最後にムショ暮らししてな。娑婆しゃばに戻ってきたものの、仕事なんか仲間に紹介して貰ったチンピラ崩れみてぇなモンくれぇか」

 震える手で煙草に火を付けながら、男性は語った。

「飯代もまかなえなくても、聡は勝手に稼いできて毎日握り飯くらい置いてくんだ。こちとら機嫌取りで、酒飲んで美味いモン相伴しょうばんしてるってのに」

 むせ返るアルコール臭に、煙たさが加わる。白く濁った空気に、この狭い部屋の密度が更にぎゅっと詰め込まれた気分になった。

「借金の取り立てに、聡に保険金掛けられたんだよ。あいつ、それを知ってやがったんだろうな」

 もやがかかった空間で、彼の遺影は私たちから遥か遠くに見えた。耳に届く言葉の何もかもが理解を超えていて、一言ずつに彼の孤独と苦境を教えられるようだった。

「親孝行なこって」


 肺の中の空気を全て白煙に変えて吐き出して、男性は俯いていた視線を上げて私たちを見た。それから、初めてほんの少し頬を緩めた。

「あいつにも、友達いたんだな。犯罪者の息子だと、徹底して他人とつるまないようにしてたと思ってたが」

 真っ赤に染まった厳めしい顔つきは、傷ついて、やるせなさそうで。それから一抹の希望を見たように私たちに呟いた。

「ありがとな」


 私と伊佐さんは、何も言えずに彼の家を後にした。

 だけど、気持ちに整理ができないだけで、彼の秘密を分かち合った事に後悔はなかった。

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