第31話【エピローグ】

【エピローグ】


 ゆっくりと、剣矢は意識を取り戻した。頭の中を整理しようとするが、靄がかかったようで上手くいかない。やはり、神経増強剤を限界まで使ったことは、相当負荷になったようだ。


 取り敢えず、自分の状況を確認する。まずは目を閉じたまま、深呼吸。


「いてっ」


 ああ、そうか。やはり肋骨が数本やられているのか。胸、厳密には左肺に鈍痛が走った。

 右腕も痛みを訴えている。激痛というほどではないが、しっかり固定されていることから察するに、骨折は免れなかったようだ。


 そこまで確認し、ようやく剣矢は目を空けた。するとそこには、医療施設にしては豪奢すぎる天井が広がっていた。かなりの高さがあり、小振りのシャンデリアが吊られている。


「もしかして、ここは……」


 そうだ。葉月のセーフハウスだ。道理でベッドがふかふかなわけだ。医療用のベッドだったら、こんなに柔らかいはずがない。

 剣矢は注意深く、左腕に力を込めて上半身を起こした。


 一応大丈夫ではあるのだろうが、誰もいないのはどうしたことだろう。そう思いながら横を見ると、カーテンでベッドが仕切られていた。

 反対側にも、誰かが寝かされているのだろうか?


 そう思って、ベッドから下りようとしたちょうどその時。カーテンの向こうから、もう一人の患者が顔を出した。


「あっ、剣矢」

「葉月……」


 彼女の疲労気味の顔を見て、剣矢ははっとした。


「は、葉月! 大丈夫か? 神経増強剤、使っちまったんだろう? 身体、何ともないか?」

「ちょっ、落ち着いてよ剣矢! あんたの方が重傷だって、エレナが言ってたから」

「エレナが俺たちの看病を?」

「まあ、皆で協力して、ね」


 そう言って、葉月はカーテンを軽く押しのけ、こちら側にやって来た。


「お前、怪我はしただろう? 具合はどうなんだ?」

「だから、あんたの方が酷いんだってば。あんたが自分のことを大丈夫だって思えるなら、あたしのことも心配しなくていいでしょう?」

「そう、か」


 剣矢は安堵の溜息をついた。しかし、すぐに懸念事項にぶつかってしまう。


「ドクは? 奴はどうなった?」

「死んだよ」

「し、死んだ……」


 極めて短い返答に、剣矢は胃袋が炙られるような感覚に陥った。

 

「剣矢、自分を責めないで。あたしは今回の作戦で、できるだけ殺すな、とは言ったけど。でも、あの状況なら仕方ないよ。そもそも、ドクは化け物になってたんだから。エレナを助けるためにも、ああするしかなかったんだ」

「でも……」


 剣矢は俯き、ぎゅっと唇を噛み締めた。


「でも、また殺しちまったことは事実だ。葉月、お前は言ってたよな。『敵を苦しめて殺すのは控えてほしい』って。ドクは苦しんだのかな?」

「さあ……。あたしに訊かれてもね。ただ、エレナによれば、あんたの拳銃に装弾されていた十五発の弾丸は、全てドクの頭部に命中してる。下手をすれば、一発目で即死だったかもしれない」

「即死、か」


 そうだったらいいんだが、と思わずにはいられない。葉月は、剣矢が殺人狂になってしまうのを恐れている。それは会話中の、憂いを湛えた目つきから窺えることだ。

 

 皆に、よりにもよって葉月にそんな心配をかけてしまっている。そう思うと、剣矢は自分の心が瓦解していくような錯覚に襲われた。

 自分はいつの間にか、あの神経増強剤に侵され、残忍で非情な存在にされてしまったのかもしれない。


 剣矢はそっと顔を上げ、再び葉月と目を合わせた。否、その瞳をまじまじと見つめた。


「葉月は、大丈夫か? 自分が狂暴になったり、残酷になったりする気配はないか?」

「だ、大丈夫だけど」


 剣矢の静かな、しかし重い問いかけに、葉月は何とか頷いてみせる。


「神経増強剤を使うなんてな……。もう二度とやめてくれよ。だいたい、未経験の人間に使いこなせる代物じゃないんだ」

「……」

「それに、どうせドクみたいな怪物になる恐れがあるなら、そんな危険を背負う人間は少ない方がいい。せめて俺一人だったら――」


『俺一人だったら何とかなる』――そう続けようとした剣矢の言葉は、しかし葉月に遮られた。強烈なヘッドロックをかけられたのだ。


「うわっ! 怪我人に何しやがる!」

「あんたが馬鹿だからだよ!」

「何が馬鹿だ!」

「あんた、忘れてるでしょう? あたしにとって、あんたが大切な人だってこと!」

「え?」


 葉月の言葉が終わった時、彼女の体勢は、ヘッドロックのそれではなかった。そっと、剣矢の頭部を両腕でかき抱くような姿勢だった。


「た、大切……? どういう意味だよ?」

「言葉通り、受け取ってくれればいいのに」


 剣矢の頬を、水滴が滑り落ちる。それは、確かに涙だった。しかし、剣矢のものではない。


「葉月、泣いてる……のか?」


 今度こそ、葉月は剣矢の頭部を胸に抱きしめた。予想以上に柔らかな感覚に包み込まれ、剣矢は一瞬、呼吸を忘れた。


「剣矢、あんたはあたしのことを心配してくれたよね。快楽殺人鬼みたいになるのは駄目だって、分かってくれたんだよね。そうして葛藤してくれたんだよね」

「……」

「そうやって心配してくれることこそ、人間である証明だって、あたしは思ってる。葛藤するのが人間だってね。だからこそ、あたしはどうしてもあんたを助けたかった」


 それで神経増強剤を使った、ということか。


「葉月」

「……うん」

「約束だ。俺は注射を使っても、必ず正気に戻る。これ以上、人は殺さない。信じてくれるか?」

「剣矢があたしを信じてくれるなら」


 葉月の言葉に、沈黙する二人。しかしその沈黙は、呆気なく破られた。

 葉月の端末に着信があったのだ。


「こちら葉月」

《俺だ、憲明だ。剣矢は目を覚ましたか?》

「ああ。まだ全快には遠いが、命に別状はないようだ」

《了解。もし歩けるようなら――》


 憲明が告げたのは、先日剣矢以外のメンバーが会議を行っていた部屋だ。


「了解。すぐに行く。大丈夫だな、剣矢?」


 無言で頷く剣矢を見て、葉月は通話を切った。


         ※


 出迎えたのは、エレナだった。とててて、と剣矢の下にやって来る。


「心配すんなよ、エレナ。俺は大丈夫だから」


 エレナはじっと剣矢の目を覗き込み、それから指定席と思しき椅子に座り込んだ。


「で、話はどこまで進んでるんだ、憲明?」

「俺たちの身柄が警察に拘束された時、爆弾で壁を吹っ飛ばして、俺たちを助けてくれた奴が存在している。それは分かるな?」

「そいつはドクの協力者かもしれないって、憲明は言うんだ! ねえ、どう思う、葉月?」

「だとしたら、少し痛い目に遭ってもらうしかないな」


 葉月は腕を組みながら、物騒なことを言う。


「エレナ、このセーフハウスの場所は、公にはバレてないよな?」


 剣矢の問いに、エレナはサムズアップして見せた。どうやら大丈夫らしい。


「それと、ここからが本題だ。あたしはリーダーとしてではなく、一人の人間として頼みたいんだが――。戦闘中の敵に対して、やむを得ない場合以外は不殺で済ませてもらいたい。最悪でも即死でケリをつけたいと思うんだが、どうだ?」


 剣矢はぎゅっと左の拳を握り締める。憲明と和也の理解は得られるだろうか?

 しかし、そんな心配は杞憂だった。

 

「敵の命の保証はできねえが、即死させてやるくらいなら問題ない」

「僕も僕も! 致命傷にならないようなところを狙えばいいんだよね? 葉月のご用命とあれば、僕も従うよ!」


 ふっと、剣矢は察した。皆、学んだのだ。

 敵の命を奪ったり、殺してくれと嘆願されるような殺し方をしたりするのは、何もメリットがないのだと。

 それに、敵の中に生存者がいれば、剣矢の吸血行為もスムーズに行える。

 その次の相手が、警察署から剣矢たちを脱出させた『ドクの仲間の残党』になるかどうかは計りかねるところだが。


「ところで皆、飯は食べたのか?」

「まだだよ葉月! 二人共すぐに目覚める、って聞いたから、待ってたんだ」

「そうか、ありがとう、和也」


 葉月の感謝の意を真正面から受け止め、和也は目元に手を遣った。そこには微かに、涙の跡が見られる。

 葉月の好意が自分ではなく、剣矢に向いているという事実。それを飲み込むのに、きっと和也は必死なのだ。


 であれば、今度こそ自分が葉月を守り通さなければ。剣矢の心に赤々とした、しかし温かい火が宿る。


 こんな気持ちは味わったことのないものだったが、剣矢は自然とそれを受け入れた。

 自分たちの未来を守るために。葉月たちチームメンバーを守るために。

 そして、善の笠を被った悪を根絶し、本当の意味での復讐を達成するために。


 THE END

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

翠眼の復讐鬼《リベンジャー》 岩井喬 @i1g37310

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ