第29話


         ※


 高層ビルのエレベーターはまだ活きていて、体力の温存に貢献してくれた。

 剣矢たちが屋上に出て、作戦配置についてから約五分。まさに開戦予定時刻になった瞬間のことだった。


《目標、肉眼にて確認》


 最初に気づいたのは憲明だった。赤外線スコープを使わずとも、その光は剣矢からも見えた。廃棄された高層ビルの屋上に、光で縁取られた人影がある。

 それはゆっくりと右腕を掲げ、短銃から真上に何かを発射した。照明弾だ。


 照明弾はゆらり、ゆらりと宙を彷徨い、下りてくる気配がない。なるほど、見えるようにして戦おうというわけか。


 その光の下で、剣矢はドクが自分の左腕に注射器を差し込むのをはっきりと見た。


「憲明、頼む」

《了解。作戦開始》


 すると、ドクの姿が跳ねた。軽くステップを踏むように、何かを連続で回避する。続いて上がった爆炎と黒煙からして、憲明がグレネードランチャーを連射したことが分かった。


「よし」


 剣矢は自らも注射器を刺し、ぱちん、と自分の両頬を叩いた。立ち上がって勢いよく駆け出し、ドクの陣取るビルの屋上へ。


「うおおおおおおおっ!」


 高低差があまりなかったのは幸いだった。黒煙に突っ込みながらも、剣矢の視界は明確にドクを捉えている。三メートルほど下方にいたドクに向かって、剣矢は思いっきり腕を振りかぶった。


 ばごん、とコンクリートが砕け散る。剣矢の着地でひびが入り、次いで振り下ろされた拳が天井全体を振動させ、破片をまき散らした。


《和也、射撃開始》

《了解!》


 葉月の指示に従い、和也がアイリーンⅡで銃撃を開始する。


 この廃棄区画には、建設途中で放棄された高層ビルも多数存在する。また、ドクは剣矢たちのチームの実力を引き出し、なるべく自分にとって困難なところから、逆転勝利することを望んでいる。


 そこで、葉月が考えついた。ドクは足場の不安定な、建築途中のビルの屋上にいるのではないかと。

 その考えを基に、エレナがデータを呼び寄せ、最もドクにとって不利な立ち位置となるビルの屋上を挙げたのだ。


 そこで和也の出番である。ワイヤーで支えられた箇所の多い廃棄ビルの屋上で戦うならば、上手くドクを誘導することで、地上に落下させることができるのではないかと。

 銃弾を跳ね除けるあの肉体を破壊するには、高層ビル屋上から転落させるのが有効打である。そう皆が納得した。


 今、和也は持ち前の精密な射撃で、ドクと剣矢が戦っているビルに付随するワイヤーを、少しずつ削っている。一発で落とすのではなく、ドクの体重がかかった瞬間に落とせるようにしておかなければならない。


 そこまでの誘導は剣矢の任務だ。

 今、葉月の自動小銃による援護を受けつつ、剣矢はドクと互角の戦闘を繰り広げていた。

 

 ドクが如何に俊敏かつ強靭なのかは、既に分かっている。対策はできていない。だが、『分かっている』という事実が重要だった。

 細かなステップ。軽い殴打。適度な距離感。それらを、剣矢は戦いながらにして認識していく。ドクの方が距離を取ろうとすれば、葉月、または憲明が銃撃を加える。

 そうして、剣矢たちは場を支配しつつあった。


「ふっ! だいぶ頭を絞ってきたようだな、剣矢くん」

「そりゃあ怪物が相手ともなればな。生憎、俺まで怪物になっちまうわけにはいかないんでね」

「殊勝な心掛けだ。だが、それでこの私を倒すことはできん!」


 めきり、と嫌な音がした。ドクの腕が伸び、関節が増えて、リーチが大きく広がっていく。腕の長さだけで、ざっと五メートルといったところか。


「ドク、あんただって分かってるだろう? そんな身体で戦っていたら、長くは保たないぞ!」

「それは一人前の大人が言う台詞だ。今の忠告、冥途の土産に持っていくがいい!」


 すると剣矢の頭上から、無数の拳が降ってきた。ドクの伸ばした腕先の鉄拳だ。

 ズドドドドドドドドッ、と勢いよく屋上の床が砕け散り、粉塵が舞い上がる。あまりの勢いに、剣矢は咳き込みそうになった。

 そして、その機を逃すほど、ドクは甘くはなかった。


「ぶはっ!」


 気づいた時には、ドクのブーツの裏が剣矢の腹部にめり込んでいた。後方に吹っ飛ばされる剣矢。だが、ドクの追撃は止まらなかった。

 剣矢を強引に、背後から掴み込んだのだ。そして、思いっきり頭部から屋上へと叩きつける。


「ぐっ、あぁあ!」


 剣矢は腕を突っ張り、辛うじて頭部への損傷を抑えた。だが、残り時間は五分強。このままの戦いで、ドクを仕留めることはできない。


 前方からはドクの脚部が、後方からはドクの腕部が。拳、つま先、肘、膝のそれぞれが、巧みに連携を取って剣矢に集中する。

 防戦一方に追い詰められる剣矢だが、状況はそれに留まらなかった。


「ぬん!」

「うあっ⁉」


 剣矢は両腕で腰を掴みあげられた。そしてバランスを取る間もなく、凄まじい勢いで隣のビルへと放り投げられた。


「がはっ! かあっ!」


 口内が、鉄臭さで充満する。

 今度は流石にドクも本気だったらしい。剣矢は自分の右腕と、左半身の肋骨が数本、折られているのを自覚する。これでは、やられる。


 ドクが跳躍するのが見える。この埃っぽい廃ビルに空いた穴に向かい、一直線に飛び込んでくる。今度こそ、終わりだ。


「――ごめん、葉月――」


 何故そう呟いたのか、剣矢自身にも分からなかった。もしかしたら、これが誰かを大切に想う、ということだろうか。だが、今更分かったところでどうにもならない。


 剣矢が死を覚悟した、その時だった。

 何かが、ドクの軌道を横切った。通常なら、誰にも識別できなかっただろう。だが、剣矢には見えた。


「葉月……?」


 そう認識した瞬間、剣矢ははっとした。

 まさか。


「な、何をやってるんだ、葉月!」

《はあああああああっ!》


 この常軌を逸した叫び声。間違いない。葉月は剣矢用の神経増強剤を自らに注射したのだ。葉月は自分の身体を無理やり強化したのだ。


「やめろ、葉月! それは、そんなものに頼るのは俺だけでいい!」


 剣矢は全身全霊を込めて叫んだ。しかし、肺を圧迫された剣矢の声が、葉月に届くはずがない。

 そもそも、既に葉月は注射してしまっているのだ。そうでもなければ、あんな挙動ができるはずがない。


 剣矢は激痛を噛み殺し、慌てて窓際に駆け寄った。そこから見下ろすと、葉月とドクが錐もみ状態で隣の高層ビルにぶち当たるのが見えた。


「葉月ぃいいいいッ!」


 剣矢は自分を鼓舞するように雄たけびを上げた。廊下を駆け出し、勢いを殺さずに壁を殴りつける。壁は障子のように呆気なく破れ、剣矢の身体は宙に飛び出した。


 回転しながら、葉月たちのいるビルに突っ込む。そこは立体駐車場だった。不法投棄されたと思しき車が並び、その奥から熾烈な打撃音が響いてくる。


「憲明、和也、聞こえてるな? 作戦変更だ! 合図をしたら、俺たちのいるビルの中層階に、残弾をありったけ撃ち込め!」

《何を言ってるんだ、剣矢?》

「俺が葉月を救出して、お前らの弾薬が届く前に脱出する! 遠慮はするな!」

《っておい、剣矢!》


 憲明との通信を強制的に打ち切り、ヘッドセットを放り投げる。剣矢は轟音の響く方へ、再び駆け出した。


         ※


「葉月ッ!」


 前転を繰り返し、転がるようにして、剣矢は戦場へと踏み込んだ。そして、そこで繰り広げられている戦闘の激しさに目を奪われた。


 葉月がドクの片腕を掴み込み、関節部に噛みついていた。それを振り払おうと、ドクは葉月を殴打している。

 もしドクが姿勢を整え、本気で打撃を繰り出したら、きっと葉月も無事では済まない。今だって、剣矢同様に骨折している可能性だってある。


 再び葉月の名を呼びながら、剣矢は滑空するような勢いで、ドクに突進した。そのまま頭突きを繰り出し、ドクの気を逸らす。


「ぐっ! 貴様!」


 すると、ぶちり、と嫌な音がした。ドクの腕の筋組織がちぎれる音だ。葉月は身を挺して剣矢を守り、ドクの片腕までも奪ってみせたのだ。


 人間のものとは思えない強烈な叫び声が、剣矢と葉月の耳を聾する。

 片腕を失い、激痛に苛まれるドク。その隙に、剣矢は葉月を抱きかかえ、再び床を蹴った。

 立体駐車場の壁面を破り、最寄りの低いビルの屋上へ飛び移る。その最中、剣矢はドクが照明弾を上げたのと同様の短銃で、再び照明弾を上げた。


 葉月の頭部を胸に抱いて、転がりながら着地する。ダメージは大方剣矢が被ったが、それでも葉月の方が、身体に異常をきたしているのは明らかだ。


「葉月? おい葉月! 大丈夫か、返事をしてくれよ!」


 凄まじい爆光と熱風が二人の背中を撫でたのは、まさにその直後のことだった。

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